芸者を呼び出す。二人で何かささやいてこっちを見る。こっちで見るのは好いが、向うから見られるのは厭《いや》だと思って、君は部屋に這入《はい》った。向側の騒ぎは夜遅くなるまで続いた。君は床に這入って、三味線《さみせん》の声をやかましく思いつつ寐入《ねい》った。暫く寐ているうちに、部屋に人が来たように思って目を醒《さ》ました。見れば芸者が来て枕元にすわっている。君は驚いて起き上がった。そして「どうしたのだ」と問うと、「少し伺いたい事がございます」と云う。君は立って夜具を畳んだ。それから芸者に用事を尋ねた。芸者の口上はこうであった。自分は向側の座敷に、大勢来て泊っている芸者の中《うち》の一人である。この土地の生れで、兄が一人あった。それが家出をして行方が知れずにいる。然《しか》るに先刻向側からあなたを見て、すぐにその兄だと思った。分れてからだいぶ年が立ったが、毎日逢いたい逢いたいと思うので、こっちでは忘れずにいる。あなたを見た時、すぐに馳けて来ようかと思ったが、人目があるのでこらえていた。若し人違《ひとちがえ》であったら、許して貰いたい。恋しい兄だという思う人を見たのに、逢って物を言わずに別れ
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