私は借家に帰ると、古袷《ふるあわせ》を一枚女中に持たせて、F君の所へ遣った。五十日分の宿料を払って、会話辞書を買っては、君の貰った月給は皆無くなって、煙草もやたらには呑まれぬわけだと思ったからである。
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私はF君の徼幸者の一面があると思っていたので、最初から君と交わるに、多少の距離を保留して置くようにした。しかし相識になってから時が立つに従って、この距離が段々縮まって来た。
それには衣食に事を闕《か》いても書物を買うと云う君の学問好を認めた為めもあるが、決してそればかりではない。ドイツ語に於ける君の造詣《ぞうけい》の深いことは、初対面の日にもう知れていた。そうして見れば、君が学問好だと云うことは、問わずして明かなわけである。
F君と私との距離を縮めた、主な原因は私が君の「童貞」を発見した処に存ずる。君が殆ど異性に関する知識を有せぬことを発見した処に存ずる。これは或は私の見錯《みあやま》りであったかも知れない。しかし私は今でも君に欺かれたとは信ぜない。
私はF君に秘密が無かったとは思わない。又君が※[#「言+墟のつくり」、第4水準2−88
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