さんは私に座布団を出して、こう云った。
「はてな。工面が悪いのかしら。」独言《ひとりごと》のように私は云った。
「そうじゃございません。お泊になってから少し立ちますと、今なら金があるからと仰《おっし》ゃって、今月末までの勘定を済ませておしまいになった位でございます。」もう十一月に入っているから、F君は先月青年団から貰った金で前払をしたのである。
とにかく逢って見ようと思って、私は二階へ上がった。立見の家では、奥の離座敷に上等の客を留めることにしている。次は母屋《おもや》の中庭に向いた二階である。表通に向いた二階の小部屋は、細かい格子の窓があって、そこには客を泊らせない。F君は一番安い所で好いと云って、そこに落ち著いた。
「F君、いるかね」と云って声を掛けると、君は内から障子を開けた。なる程フランネルのシャツの上に湯帷子《ゆかた》を著ている。細かい格子に日を遮《さえぎ》られた、薄暗い窓の下《もと》に、手習机の古いのが据えてあって、そこが君の席になっている。私は炭団《たどん》の活けてある小火鉢を挟《はさ》んで、君と対座した。
この時すぐに目を射たのは、机の向側に夷《えびす》麦酒《ビイル
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