ては、後々まで残惜しい。一体あなたはどちらのお方かと云うのであった。君はこう答えた。
「それは気の毒な事だ。僕は石州のもので、尾の道へは始めて来た。ここへ来たのが知れるといけないから、早く帰るが好い」と云ったと云うのである。
F君のこの話を、私は面白く思って聞いた。私の悟性から見れば、初め君が他人の空似は有るものだと云ったのは反語でなくてはならない。芸者が臥所《ふしど》へ来た時、君は浜路《はまじ》に襲われた犬塚《いぬづか》信乃《しの》のように、夜具を片附けて、開き直って用向を尋ねた。さて芸者の詞を飽くまで真面目に聞いて、旨く敬して遠ざけたのである。君が語り畢《おわ》る時、私は君の面《おもて》を凝視して、そこに Ironie の表情を求めた。しかしそれは徒事《いたずらごと》であった。
F君は芸者の詞を真実だと思って、そのまま私に話したのであった。私は驚いた。そして云った。「日本の女は横著《おうじゃく》なようで、おとなしい。それが西洋人であったら、きっと肉迫して来たのだ。すると君だって、Wilhelm が Philene の胸を押し退《の》ける勇気がなかったように、女の俘《とりこ》になるのだった。」
私がこう云うと、今度はF君が驚く番になった。後に聞けば、或る西洋人に戒められて、小説と云うものを読まぬ君も、Wilhelm Meister や Geisterseher 位は知っていたので、私の詞を聞いて、白内障の手術を受けたように悟ったのだそうである。
この事があってから私は、F君の異性に対する言動に、細かに注意した。そして君がこの方面に於いて全く無経験であることを知った。君は衣食の闕乏《けつぼう》を憂えない。君は性慾を制している。君は尋常の徼幸者とは違う。君はとにかくえらいと、私は思った。そこで初め君との間に保留して置いた距離が次第に短縮するのを、私は妨げようとはしなかった。私の鑑識は或は錯《あやま》っていたかも知れない。しかし私は今でも君に欺かれたとは信ぜない。
――――――――――――
十二月になった。私が小倉に来てから六月目、F君が私の跡を追って来てから三月目である。私はフランス語の稽古を始めて、毎日夕食後に馬借町《ばしゃくまち》の宣教師の所へ通うことになった。
これが頗る私と君との交際の上に影響した。なぜかと云うに、君が尋ねてきても、私
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