噬《か》み殺す。そういう風で大分の間過ぎたのだそうだ。そのうちある晩|風雪《ふぶき》になって、雨戸の外では風の音がひゅうひゅうとして、庭に植えてある竹がおりおり箒《ほうき》で掃くように戸を摩《す》る。十時頃に下女が茶を入れて持って来て、どうもひどい晩でございますねというような事を言って、暫くもじもじしていた。宮沢は自分が寂しくてたまらないので、下女もさぞ寂しかろうと思い遣《や》って、どうだね、針《はり》為事《しごと》をこっちへ持って来ては、己《おれ》は構わないからと云ったそうだ。そうすると下女が喜んで縫物を持って来て、部屋の隅の方で小さくなって為事をし始めた。それからは下女が、もうお客様もございますまいねと云って、おりおり縫物を持って、宮沢の部屋へ来るようになったのだ。」
 富田は笑い出した。「戸川君。君は小説家だね。なかなか旨《うま》い。」
 戸川も笑って頭を掻いた。「いや。実は宮沢が後悔して、僕にあんまり精《くわ》しく話したもんだから、僕の話もつい精しくなったのだ。跡は端折《はしょ》って話すよ。しかしも一つ具体的に話したい事がある。それはこうなのだ。下女がある晩、お休なさいと云って
前へ 次へ
全22ページ中8ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
森 鴎外 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング