ときは、名物の鶴《つる》の子《こ》より旨《うま》いというので、焼芋を買わせる。常磐橋の辻から、京町へ曲がる角に釜《かま》を据えて、手拭《てぬぐい》を被った爺《じ》いさんが、「ほっこり、ほっこり、焼立ほっこり」と呼んで売っているのである。酒は自分では飲まないが、心易《こころやす》い友達に飲ませるときは、好《すき》な饂飩を買わせる。これも焼芋の釜の据えてある角から二三軒目で、色の褪《さ》めた紺暖簾《こんのれん》に、文六と染め抜いてある家へ買いに遣《や》るのである。
 主人は饂飩だけ相伴して、無頓着《むとんじゃく》らしい顔に笑《えみ》を湛《たた》えながら、二人の酒を飲むのを見ている。話はしめやかである。ただ富田の笑う声がおりおり全体の調子を破って高くなる。この辺は旭《あさひ》町の遊廓が近いので、三味《さみ》や太鼓の音もするが、よほど鈍く微かになって聞えるから、うるさくはない。
 竹が台所から出て来て、饂飩の代りを勧めると、富田が手を揮《ふ》って云った。
「もういけない。饂飩はもう御免だ。この家にも奥さんがいれば、僕は黙って饂飩で酒なんぞは飲まないのだが。」
 これが口火になって、有妻無妻という議論が燃え上がった。この部屋で此等《これら》の人の口からこの議論が出たのは、決して今夜が初めではない。
 主人が帝国採炭会社の理事長になって小倉に来てから、もう二年立った。その内大野の独身生活は小倉で名高いものになっていて、随って度々問題に上る。
 主人は全く女というものなしに暮らしているのだろうか。富田もこの問題のために頭を悩ました一人である。そこでこう云った。
「どうも小倉には御主人のお目に留まったものがなさそうだ。多分|馬関《ばかん》だろうと思って、僕は随分熱心に聞いて廻ったのだが、結果が陰性だった。」
「随分御苦労なわけだね」と、遠慮深い戸川は主人の顔を見て云った。
 主人はただにやりにやり笑っている。
 富田は少し酔っているので、論鋒《ろんぽう》がいよいよ主人に向いて来る。「一体ここの御主人のような生活をしていられては、周囲《まわり》の女のために危険で行けない。」
「なぜだい、君。」
「いつどの女とどう云う事が始まるかも知れないんだからね。」
「まるで僕が Don《ドン》 Juan《ホァン》 ででもあるようだ。」
 戸川は主人のために気の毒に思って、半ば無意識に話を外へ転じようとした。そして持前のしんねりむっつりした様子で、妙な話をし出した。

       参

 戸川は両手を火鉢に翳《かざ》して、背中を円くして話すのである。
「そりゃあ独身生活というものは、大抵の人間には無難にし遂げにくいには違ない。僕の同期生に宮沢という男がいた。その男の卒業して直ぐの任地が新発田《しばた》だったのだ。御承知のような土地柄だろう。裁判所の近処《きんじょ》に、小さい借屋をして、下女を一人使っていた。同僚が妻を持てと勧めても、どうしても持たない。なぜだろう、なぜだろうと云ううちに、いつかあれは吝嗇《りんしょく》なのだということに極《き》まってしまったそうだ。僕は書生の時から知っていたが、吝嗇ではなかった。意地強く金を溜《た》めようなどという風の男ではない。万事控目で踏み切ったことが出来ない。そこで判事試補の月給では妻子は養われないと、一図《いちず》に思っていたのだろう。土地が土地なので、丁度今夜のような雪の夜が幾日も幾日も続く。宮沢はひとり部屋に閉じ籠《こも》って本を読んでいる。下女は壁|一重《ひとえ》隔てた隣の部屋で縫物をしている。宮沢が欠《あくび》をする。下女が欠を噬《か》み殺す。そういう風で大分の間過ぎたのだそうだ。そのうちある晩|風雪《ふぶき》になって、雨戸の外では風の音がひゅうひゅうとして、庭に植えてある竹がおりおり箒《ほうき》で掃くように戸を摩《す》る。十時頃に下女が茶を入れて持って来て、どうもひどい晩でございますねというような事を言って、暫くもじもじしていた。宮沢は自分が寂しくてたまらないので、下女もさぞ寂しかろうと思い遣《や》って、どうだね、針《はり》為事《しごと》をこっちへ持って来ては、己《おれ》は構わないからと云ったそうだ。そうすると下女が喜んで縫物を持って来て、部屋の隅の方で小さくなって為事をし始めた。それからは下女が、もうお客様もございますまいねと云って、おりおり縫物を持って、宮沢の部屋へ来るようになったのだ。」
 富田は笑い出した。「戸川君。君は小説家だね。なかなか旨《うま》い。」
 戸川も笑って頭を掻いた。「いや。実は宮沢が後悔して、僕にあんまり精《くわ》しく話したもんだから、僕の話もつい精しくなったのだ。跡は端折《はしょ》って話すよ。しかしも一つ具体的に話したい事がある。それはこうなのだ。下女がある晩、お休なさいと云って
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