h〕 も ridicule も可笑しいといふことである。然るに自分も可笑しくするといふ詞が日本には無い。人に笑はれるといふと、大相意味が輕くなつてしまふ。世の物笑へになるなどといふ詞が古くは有つた。これは稍※[#二の字点、1−2−22]似てゐるやうだが、今はそんな詞も行はれてゐない。
西洋人は自分を可笑しくすることをひどく嫌ふ。それだから其詞がある。日本人は自分を可笑しくするのが平氣である。それだから其詞が無い。
義憤なんぞが好い例である。義憤の當否は措いて、何に寄らず、けしからんけしからんを連發するのは、傍から見ると可笑しい。日本人がそれを構はずに遣るのは、自分を可笑しくすることを厭はないのである。
Maupassant の譯書が發賣禁止になるなんぞを見ると、政府も或は自分を可笑しくするのを厭はないのではあるまいか。
底本:「鴎外全集 第二十六卷」岩波書店
1973(昭和48)年12月22日発行
底本の親本:「東亞の光 第四卷第七號」
1909(明治42)年7月1日発行
初出:「東亞の光 第四卷第七號」
1909(明治42)年7月1日発行
入力:岩澤秀紀
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