Streber を卑むといふ思想を有してゐないからである。
 最一つ同じやうな事を言つてみよう。
 獨逸人は 〔sittliche Entru:stung〕 といふことを言ふ。〔Entru:sten〕 といふ動詞は素と甲を解く、衣を卸すといふやうな意味から轉じて、體裁も何も構はなくなる程おこることになつてゐる。腹を立つことになつてゐる。Sittlich は勿論道義的、風俗的である。〔Sittliche Entru:stung〕 といふと、或る事が不道徳である、背俗であると云つて立腹するのである。道徳的憤怒と譯しても好からう。約《つづ》めて言へば義憤であらう。
 然るに日本語では勉強家といふのに何の貶《おと》しめる意味もないやうに、義憤は當然の事であつて、少しも嘲る意味を帶びてはゐない。獨逸語で 〔sittliche Entru:stung〕 といふと、頗る片腹痛い。
 此詞は Heyne の字書の 〔Entru:stung〕 の條を見ても、Streber といふ詞のやうに、明白に嘲を帶びてゐるといふ説明を加へては無い。併し引例には矢張 Bismarck の演説が出てゐる。それは論敵が
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