鰍ェあつたのかも知れない。父は縦《よ》しや預言者たる素質を有してゐなかつたにしても、遂《つひ》に 〔consacre's〕 の群に加はることが出来ずに時勢の秘密を覗《うかゞ》ひ得なかつたのは、単に身分が低かつたためではあるまいか。人は「あが仏尊し」と云ふかも知れぬが、私はかう云ふ思議に渉《わた》ることを禁じ得ない。
 私の家は代々|備前《びぜん》国|上道《じやうたう》郡|浮田《うきた》村の里正を勤めてゐた。浮田村は古く沼《ぬま》村と云つた所で、宇喜多直家《うきたなほいへ》の城址《じやうし》がある。其|城壕《しろぼり》のまだ残つてゐる土地に、津下氏は住んでゐた。岡山からは東へ三里ばかりで、何一つ人の目を惹《ひ》くものもない田舎《ゐなか》である。
 私の祖父を里正|津下市郎左衛門《つげいちらうざゑもん》と云つた。旧家に善くある習《ならひ》で、祖父は分家で同姓の家の娘を娶《めと》つた。祖母の名は千代《ちよ》であつた。千代は備前侯池田家に縁故のあつた人で、駕籠《かご》で岡山の御殿に乗り附ける特権を有してゐたさうである。恐らくは乳母《うば》ではなかつたかと、私は想像する。此夫婦の間に私の父は生れた
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