。
同じく連坐せられた十津川の士|上平《うへひら》(一に錯《あやま》つて下平に作る)主税《ちから》は新島に流され、これも還ることを得た。
一瀬|主殿《とのも》も亦十津川の士で連坐せられ、八丈島に流され、後|赦《ゆる》されて帰つた。
中《なか》等の親兵団は成らむと欲して成らなかつた。是は神田孝平、中井浩、横井平四郎等に阻《はゞ》まれたのである。
此時に当つて天道革命論と云ふ一篇の文章が志士の間に伝へられた。当時の風説に従へば、文は横井平四郎の作る所で、阿蘇神社の社司の手より出で、古賀十郎を経て流伝したと云ふことである。其文に曰く。
「夫《そ》れ宇宙の間、山川草木人類鳥獣の属ある、猶《なほ》人の身体の四支|百骸《ひやくがい》あるがごとし。故《ゆゑ》に宇宙の理を知らざる者は、身に手足の具あるを知らざるに異なることなし。然れば宇宙有る所の諸国皆是れ一身体にして、人なく我なし。宜《よろ》しく親疎の理を明《あきらか》にし、内外同一なることを審《つまびらか》にすべし。古《いにしへ》より英明の主、威徳宇宙に溥《あまね》く、万国の帰嚮《ききやう》するに至る者は、其|胸襟《きやうきん》闊達《くわつ
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