、かゞ》ふことが出来たであらう。
 私は此聞書の 〔e'diteur〕 として、多くの事を書き添へる必要を感ぜない。只これが私の手で公にせられることになつた来歴を言つて置きたい。私は既に大学を出て、父の許《もと》にゐて、弟|篤次郎《とくじらう》がまだ大学にゐた時の事である。私は篤次郎に、「どうだ、学生仲間にえらい人があるか」と云つた。弟はすぐに二人の同級生の名を挙げた。一人はKと云つて、豪放な人物、今一人は津下正高といつて、狷介《けんかい》な人物だといふことであつた。弟は後に才子を理想とするやうになつたが、当時はまだ豪傑を理想としてゐたのである。Kも津下君も弟が私に紹介した。Kは力士のやうに肥満した男で、柔術が好《すき》であつた。気の毒な事には、酒興に任せて強盗にまぎらはしい事をして、学生の籍を削られた。津下君は即鹿太で、此聞書の auteur である。
 津下君は色の蒼白《あをじろ》い細面《ほそおもて》の青年で、いつも眉根《まゆね》に皺《しわ》を寄せてゐた。私は君の一家の否運が Kain のしるしのやうに、君の相貌の上に見《あら》はれてゐたかと思ふ。君は寡言《くわげん》の人で、私も当時
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