ヘか》り、当路の大官に愬《うつた》へた。それは私が学問を廃することになつた後の事である。
 明治十九年から二十年に掛けて、津下四郎左衛門に贈位する可否と云ふことは、一時其筋の問題になつてゐたさうである。しかし結局、特赦を蒙《かうむ》らずして刑死したものに、贈位を奏請することは出来ぬと云ふことになつた。私は落胆して、再び自分の生活が無意味になつたやうに思つた。尤《もつと》も此時の苦悶は、昔復讎の対象物を失つた時に比べて、余程軽く又短かつた。私が老成人になつてゐたためかも知れぬが或は私の神経が鈍くなつたためだとも思へば思はれる。
 私はもうあきらめた。譲歩に譲歩を重ねて、次第に小さくなつた私の望は、今では只此話を誰かに書いて貰つて、後世に残したいと云ふ位のものである。
        ――――――――――――――――――――
 聞書《きゝがき》はここに終る。文中に「私」と云つてあるのは、津下四郎左衛門正義の子で、名を鹿太と云つた人である。それだけの事は既に文中に見えてゐる。それのみでは無い。読者は、鹿太がどんな性質の人で、どんな境遇にゐて、どんな閲歴を有してゐると云ふことも、おほよそは窺《
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