「時にはかう思つた。父は天子様のために働いた。それを人が殺した。私は其の殺した人を殺さなくてはならぬと思つた。稍《やや》成長してから、私は父を殺したのは人ではない、法律だと云ふことを知つた。其時私はねらつてゐた的《まと》を失つたやうに思つた。自分の生活が無意味になつたやうに思つた。私は此発見が長い月日の間私を苦めたことを記憶してゐる。
私は此内面の争闘を閲《けみ》した後に、暫《しばら》くは惘然《ばうぜん》としてゐたが、思量の均衡がやうやう恢復《くわいふく》せられると共に、従来回抱してゐた雪冤《せつゑん》の積極手段が、全く面目を改めて意識に上つて来た。私はどうにかして亡き父を朝廷の恩典に浴させたいと思ひ立つた。父は王政復古の時に当つて、人に先んじて起《た》つて王事に勤めたのである。其の人を殺したのは、政治上の意見が相《あひ》容《い》れなかつたためである。殺されたものは政争の犠牲である。さうして見れば、時代が既に推移した今、恩讎《おんしう》両《ふた》つながら滅した今になつて、枯骨《ここつ》が朝恩《てうおん》に沾《うるほ》つたとて、何の不可なることがあらうぞ。私はかう思つて同郷の先輩に謀《
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