sそろ》つて、こつそり来て貰ひたいと云ふことであつた。市郎左衛門夫婦は何事かと不審に思つたが、よめの丈《たけ》には、兎《と》に角《かく》急いで支度をせいと言ひ附けた。若しや夫の身の上に掛かつた事ではあるまいかと心配しつゝも、祖父母の跡に附いて、当時二十二歳の母は、六歳になつた私を連れて往つた。
 杉本方に待つてゐたのは父四郎左衛門であつた。私は幼かつたので、父がどんな容貌をしてゐたか、はつきりと思ひ浮べることだに出来ない。只《たゞ》「坊主|好《よ》く来た」と云つて、微笑《ほゝゑ》みつゝ頭を撫《な》でゝくれたことだけを、微《かす》かに記憶してゐる。両親と母とには、余り逗留《とうりう》が長くなるので、一寸《ちよつと》逢ひに帰つたと云つたさうである。父は夜の明けぬうちに浮田村を立つて、急いで京都へ引き返した。
 明治二年正月五日の午後である。太政官を退出した横井平四郎の駕籠が、寺町を御霊社《ごりやうしや》の南まで来掛かつた。駕籠の両脇には門人横山|助之丞《すけのじよう》と下津鹿之介とが引き添つてゐる。若党上野友次郎、松村金三郎の二人に、草履取《ざうりとり》が附いて供をしてゐる。忽《たちま》ち
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