ッつべつ》のために故郷へ立つた。
四郎左衛門が京都に上つてからも、浮田村の家からは市郎左衛門が終始密使を遣《や》つて金を送つてゐた。同志の会合は人の耳目を欺くためにわざと祇園《ぎをん》新地の揚屋《あげや》で催されたが、其費用を払ふのは大抵四郎左衛門であつた。色が白く、柔和に落ち著いてゐて、酒を飲んでも行儀を崩さぬ四郎左衛門は、芸者や仲居にもてはやされたさうである。或る時同志の中の誰やらがかう云つた。かうして津下にばかり金を遣《つか》はせては気の毒だ。軍資を募るには手段がある。我々も人真似に守銭奴を脅《おど》して見ようではないかと云つた。其時四郎左衛門がきつと居直つて、一座を見廻してかう云つた。我々の交《まじはり》は正義の交である。君国に捧《さゝ》ぐべき身を以て、盗賊にまぎらはしい振舞は出来ない。仮に死んでしまふ自分は瑕瑾《かきん》を顧みぬとしても、父祖の名を汚し、恥を子孫に遺《のこ》してはならない。自分だけは同意が出来ないと云つた。
大晦日《おおみそか》の雪の夜であつた。津下氏の親類で、同じ浮田村に住んでゐた杉本某の所から、津下の留守宅へ使が来た。急用があるから、在宅の人達は皆|揃
前へ
次へ
全58ページ中18ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
森 鴎外 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング