繧フ城代|土屋采女正寅直《つちやうねめのしやうともなほ》の用人|大久保要《おほくぼかなめ》に由つて徳川慶喜に上書し、又藤田誠之進を介して水戸斉昭《みとなりあき》に上書したこともある。世間では其論策の内容を錯《あやま》り伝へて、廃帝を議したなどゝ云つたり、又洋夷と密約して、基督《きりすと》教を公許しようとしてゐるなどゝ云つたりした。
 公武合体論者の横井が、純粋な尊王家の目から視《み》て、灰色に見えたのは当然の事であるが、それが真黒に見えたのは、別に由《よ》つて来たる所がある。横井は当時の智者ではあつたが、其思想は比較的単純で、それを発表するに、世の嫌疑を避けるだけの用心をしなかつた。横井は政治の歴史の上から、共和政の価値を認めて、アテエネに先だつこと数百年、尭舜《げうしゆん》の時に早く共和政が有つたと断じた。「人君何天職《じんくんなんぞてんしよくなる》。代天治百姓《てんにかはりてひやくせいををさむ》。自非天徳人《てんとくのひとにあらざるよりは》。何以※[#「りっしんべん+(はこがまえ<夾)」、第3水準1−84−56]天命《なにをもつてかてんめいにかなはん》。所以尭巽舜《げうのしゆんにゆ
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