。
同じく連坐せられた十津川の士|上平《うへひら》(一に錯《あやま》つて下平に作る)主税《ちから》は新島に流され、これも還ることを得た。
一瀬|主殿《とのも》も亦十津川の士で連坐せられ、八丈島に流され、後|赦《ゆる》されて帰つた。
中《なか》等の親兵団は成らむと欲して成らなかつた。是は神田孝平、中井浩、横井平四郎等に阻《はゞ》まれたのである。
此時に当つて天道革命論と云ふ一篇の文章が志士の間に伝へられた。当時の風説に従へば、文は横井平四郎の作る所で、阿蘇神社の社司の手より出で、古賀十郎を経て流伝したと云ふことである。其文に曰く。
「夫《そ》れ宇宙の間、山川草木人類鳥獣の属ある、猶《なほ》人の身体の四支|百骸《ひやくがい》あるがごとし。故《ゆゑ》に宇宙の理を知らざる者は、身に手足の具あるを知らざるに異なることなし。然れば宇宙有る所の諸国皆是れ一身体にして、人なく我なし。宜《よろ》しく親疎の理を明《あきらか》にし、内外同一なることを審《つまびらか》にすべし。古《いにしへ》より英明の主、威徳宇宙に溥《あまね》く、万国の帰嚮《ききやう》するに至る者は、其|胸襟《きやうきん》闊達《くわつたつ》、物として相容《あひい》れざることなく、事として取らざることなく、其仁慈化育の心、天下と異なることなきなり。此《かく》の如くにして世界の主、蒼生《さうせい》の君と云ふべきなり。若《も》し夫《そ》れ其見《そのけん》小にして、一体一物の理を知らざるは、猶全身|痿《ゐ》して疾痛|※[#「やまいだれ+可」、163−11]痒《あやう》を覚えざるごとし。百世身を終るまで開悟すること能《あた》はず。亦|憐《あはれ》むべからずや。(中略)今日の如き、実に天地|開闢《かいびやく》以来興治の機運なるが故に、海外の諸国、天理の自然に基き、開悟発明、文化の域に至らむとする者少からず。唯日本、※[#「くさかんむり/最」、第4水準2−86−82]爾《さいじ》たる孤島に拠《よつ》て、(中略)行ふこと能はず。其の亡滅を取ること必せり。速《すみやか》に固陋積弊《ころうせきへい》の大害を攘除《じやうぢよ》し、天地無窮の大意に基き、偏見を看破し、宇宙第一の国とならむことを欲せずんばあるべからず。此の如き理を推窮せば、遂に大活眼《だいくわつがん》の域に至らしむる者|乎《か》。丁卯《ひのとう》三月南窓下偶書、小楠。」
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