ェ》めることが出来なかつた。咎めると、自分が備中界に入つたことが露顕するからである。其青年共に世界の大勢に通じてゐなかつたのを責めるのは無理である。己も京都にゐた時、或る人を刺さうとしたことがある。しかし事に阻《さまた》げられて果さずに岡山に帰つた。そのうち比較的に身分が好いので、少属《せうさくわん》に採用せられた。それから当路者と交際して、やう/\外国の事情を聞いた。己《おのれ》は智者を以て自ら居るわけではないが、己と四郎左衛門との間には軒輊《けんち》する所は無い筈だと云つた。鈴木君は内外典《ないげてん》に通じた学者で、荒尾精《あらをせい》君等と国事を謀《はか》つてゐた人である。それが私にかう云ふ伝言をした。己は四郎左衛門を知つて居た。四郎左衛門は昧者ではなかつた。横井を刺したには相応の理由があると云ふのであつた。しかし私の面会せぬうちに、鈴木君は亡くなつた。どんな説を持つてゐたか知らぬが、残惜《のこりを》しいやうな気がする。
私は父の事蹟を探つただけで満足したのではない。顔に塗られた泥を洗ふやうに、積極的に父の冤《ゑん》を雪《そゝ》ぎたいと云ふのが、私の幼い時からの欲望である。幼い時にはかう思つた。父は天子様のために働いた。それを人が殺した。私は其の殺した人を殺さなくてはならぬと思つた。稍《やや》成長してから、私は父を殺したのは人ではない、法律だと云ふことを知つた。其時私はねらつてゐた的《まと》を失つたやうに思つた。自分の生活が無意味になつたやうに思つた。私は此発見が長い月日の間私を苦めたことを記憶してゐる。
私は此内面の争闘を閲《けみ》した後に、暫《しばら》くは惘然《ばうぜん》としてゐたが、思量の均衡がやうやう恢復《くわいふく》せられると共に、従来回抱してゐた雪冤《せつゑん》の積極手段が、全く面目を改めて意識に上つて来た。私はどうにかして亡き父を朝廷の恩典に浴させたいと思ひ立つた。父は王政復古の時に当つて、人に先んじて起《た》つて王事に勤めたのである。其の人を殺したのは、政治上の意見が相《あひ》容《い》れなかつたためである。殺されたものは政争の犠牲である。さうして見れば、時代が既に推移した今、恩讎《おんしう》両《ふた》つながら滅した今になつて、枯骨《ここつ》が朝恩《てうおん》に沾《うるほ》つたとて、何の不可なることがあらうぞ。私はかう思つて同郷の先輩に謀《
前へ
次へ
全29ページ中18ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
森 鴎外 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング