獅嘯奄潤sダヌンチオ》 は小説にも脚本にも、色彩の濃い筆を使って、性欲生活を幅広に写している。「死せる市」では兄と妹との間の恋をさえ書いた。これが危険でないなら、世の中に危険なものはあるまい。
 スカンジナウィアの文学で、Ibsen《イブセン》 は個人主義を作品にあらわしていて、国家は我敵だとさえ云った。Strindberg《ストリンドベルク》 は伯爵家の令嬢が父の部屋附の家来に身を任せる処を書いて、平民主義の貴族主義に打ち勝つ意を寓《ぐう》した。これまでもストリンドベルクは本物の気違になりはすまいかと云われたことが度々あるが、頃日《このごろ》また少し怪しくなり掛かっている。いずれも危険である。
 英文学で、Wilde《ワイルド》 の代表作としてある Dorian《ドリアン》 Gray《グレエ》 を見たら、どの位人間の根性が恐ろしいものだということが分かるだろう。秘密の罪悪を人に教える教科書だと言っても好い。あれ程危険なものはあるまい。作者が男色事件で刑余の人になってしまったのも尤もである。Shaw《ショオ》 は「悪魔の弟子」のような廃《すた》れたものに同情して、脚本の主人公にする。危
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