退治の風であおられると同時に、自然主義の側で禁止せられる出板物の範囲が次第に広がって来て、もう小説ばかりではなくなった。脚本も禁止せられる。抒情詩《じょじょうし》も禁止せられる。論文も禁止せられる。外国ものの翻訳も禁止せられる。
 そこで文字に書きあらわされてある、あらゆるものの中から、自然主義と社会主義とが捜されるということになった。文士だとか、文芸家だとか云えば、もしや自然主義者ではあるまいか、社会主義者ではあるまいかと、人に顔を覗《のぞ》かれるようになった。
 文芸の世界は疑懼《ぎく》の世界となった。
 この時パアシイ族のあるものが「危険なる洋書」という語を発明した。
 危険なる洋書が自然主義を媒介した。危険なる洋書が社会主義を媒介した。翻訳をするものは、そのまま危険物の受売《うけうり》をするのである。創作をするものは、西洋人の真似をして、舶来品まがいの危険物を製造するのである。
 安寧秩序を紊る思想は、危険なる洋書の伝えた思想である。風俗を壊乱する思想も、危険なる洋書の伝えた思想である。
 危険なる洋書が海を渡って来たのは Angra《アングラ》 Mainyu《マイニュウ》 の神の為業《しわざ》である。
 危険なる洋書を読むものを殺せ。
 こういう趣意で、パアシイ族の間で、Pogrom《ポグロム》 の二の舞が演ぜられた。そして沈黙の塔の上で、鴉が宴会をしているのである。

       *          *          *

 新聞に殺された人達の略伝が出ていて、誰は何を読んだ、誰は何を翻訳したと、一々「危険なる洋書」の名を挙げてある。
 己はそれを読んで見て驚いた。
 Saint《サン 》−|Simon《シモン》 のような人の書いた物を耽読《たんどく》しているとか、Marx《マルクス》 の資本論を訳したとかいうので社会主義者にせられたり、Bakunin《バクニン》, Kropotkin《クロポトキン》 を紹介したというので、無政府主義者にせられたとしても、読むもの訳するものが、必ずしもその主義を遵奉《じゅんぽう》するわけではないから、直ぐになるほどとは頷《うなず》かれないが、嫌疑を受ける理由だけはないとも云われまい。
 Casanova《カサノワ》 や Louvet《ルウェエ》 de《ド》 Couvray《クウルウェエ》 の本を訳して、風俗を壊乱
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