ョ《ふいちょう》せられた。Zola《ゾラ》 が 〔Le《ル》 Roman《ロマン》 expe'rimental《エクスペリマンタル》〕 で発表したような自然主義と同じだとは云われないが、また同じでないとも云われない。兎《と》に角《かく》因襲を脱して、自然に復《かえ》ろうとする文芸上の運動なのである。
自然主義の小説というものの内容で、人の目に附いたのは、あらゆる因襲が消極的に否定せられて、積極的には何の建設せられる所もない事であった。この思想の方嚮《ほうこう》を一口に言えば、懐疑が修行で、虚無が成道《じょうどう》である。この方嚮から見ると、少しでも積極的な事を言うものは、時代後れの馬鹿ものか、そうでなければ嘘衝《うそつ》きでなくてはならない。
次に人の目に附いたのは、衝動生活、就中《なかんずく》性欲方面の生活を書くことに骨が折ってある事であった。それも西洋の近頃の作品のように色彩の濃いものではない。言わば今まで遠慮し勝ちにしてあった物が、さほど遠慮せずに書いてあるという位に過ぎない。
自然主義の小説は、際立った処を言えば、先ずこの二つの特色を以て世間に現れて来て、自分達の説く所は新思想である、現代思想である、それを説いている自分達は新人である、現代人であると叫んだ。
そのうちにこういう小説がぽつぽつと禁止せられて来た。その趣意は、あんな消極的思想は安寧秩序を紊《みだ》る、あんな衝動生活の叙述は風俗を壊乱するというのであった。
丁度その頃この土地に革命者の運動が起っていて、例の椰子の殻の爆裂弾を持ち廻る人達の中に、パアシイ族の無政府主義者が少し交《まじ》っていたのが発覚した。そしてこの Propagande《プロパガンド》 par《パアル》 le《ル》 fait《フェエ》 の連中が縛られると同時に、社会主義、共産主義、無政府主義なんぞに縁のある、ないし縁のありそうな出板物が、社会主義の書籍という符牒《ふちょう》の下に、安寧秩序を紊るものとして禁止せられることになった。
この時禁止せられた出板物の中に、小説が交っていた。それは実際社会主義の思想で書いたものであって、自然主義の作品とは全く違っていたのである。
しかしこの時から小説というものの中には、自然主義と社会主義とが這入《はい》っているということになった。
そういう工合に、自然主義退治の火が偶然社会主義
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