今掘り出され掛かつてゐるやうだ。
 死んで葬られるのは當前とも言はれる。生きてゐて葬られるのは多少氣の毒である。生きてぴん/\してゐる奴を、穴を掘つて押し落して、上から土を掛けることは珍らしくない。
 自分が頭を出すために人を生埋にすることがある。頭を出す位の人なら、人を生埋にしなくても頭を出すに差支はない。それを人を生埋にしなければならないやうに思ふのは、目が昏んでゐるのかも知れない。併し人は皆達觀者ではない。著述家だつて目の昏んでゐるのがあるのはしかたがない。
 人を生埋にすることにばかり骨を折つてゐて、自分の頭はどうしても上がらないのもあるやうだ。こんなのは御苦勞千萬である。
 西洋人は人を葬るとき、土は汝の上に輕かれと云ふ。生埋にしたとき、頭の上の土が餘り輕いと、又ひよつくり頭を出すことがある。
 長谷川辰之助君などもこんな風にレサアレクシヨンを遣られた一人かと思ふ。
 平凡が出た。
 私は又逢ひたいやうな氣がした。併し此人の所謂自然主義の牛のよだれが當つて、「しゆん」外れの人に「しゆん」が又循つて來たのが、即ち葬られて更に復活したのが、却つて一層私を尋ねて行きにくゝしたやうな
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