もあるだらう。併し「浮雲、二葉亭四迷作」といふ八字は珍らしい矛盾、稀なるアナクロニスムとして、永遠に文藝史上に殘して置くべきものであらう。
 飜譯がえらいといふことだ。私は別段にえらいとも思はない。あれは當前だと思ふ。飜譯といふものはあんな風でなくてはならないのだ。あんな風でない飜譯といふものが隨分あるが、それが間違つてゐるのである。あれがえらいと云はれたつて、亡くなられた人は決して喜びはせられまいと思ふ。
 著作家は葬られる運命を有してゐる。無常を免れない。百年で葬られるか、十年で葬られるか、一年半年で葬られるかゞ問題である。それを葬られまいと思つてりきんで、支那では文章は不朽の盛事だ何ぞといふ。覺束ない事である。棺を蓋うて名定まる何ぞともいふ。その蓋棺の後の名が頗る怪しい。Stendhal の作を Goethe が評した。それがギヨオテの全集に殘つてゐて、名前の誤植が何板を重ねても改められずにゐた。そのスタンダルの掘り出されてもてはやされる時も來る。Gottsched は敵役であつた。ギヨオテや Schiller が吹聽せられるので、日本にまで惡名を傳へられてゐた。それがどうやら昨
前へ 次へ
全13ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
森 鴎外 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング