うとう一同寝ると云うことになって、客を二階へ案内させるために、上さんが女中を呼んだ。
 一同が立ち上がる時、小川の足元は大ぶ怪しかった。
 主人が小川に言った。「さっきの話は旧暦の除夜だったと君は云ったから、丁度今日が七回忌だ。」
 小川は黙って主人の顔を見た。そして女中の跡に附いて、平山と並んで梯子《はしご》を登った。
 二階は西洋まがいの構造になっていて、小さい部屋が幾つも並んでいる。大勢の客を留める計画をして建てた家と見える。廊下には暗い電燈が附いている。女中が平山に、「あなたはこちらで」と一つの戸を指さした。
 戸の撮《つま》みに手を掛けて、「さようなら」と云った平山の声が小川にはひどく不愛相に聞えた。
 女中はずんずん先へ立って行く。
「まだ先かい」と小川が云った。
「ええ。あちらの方に煖炉《だんろ》が焚いてございます。」こう云って、女中は廊下の行き留まりの戸まで連れて行った。
 小川は戸を開けて這入《はい》った。瓦斯《ガス》煖炉が焚いて、電燈が附けてある。本当の西洋間ではない。小川は国で這入っていた中学の寄宿舎のようだと思った。壁に沿うて棚を吊《つ》ったように寝床が出来ている。その下は押入れになっている。煖炉があるのに、枕元《まくらもと》に真鍮《しんちゅう》の火鉢を置いて、湯沸かしが掛けてある。その傍《そば》に九谷《くたに》焼の煎茶《せんちゃ》道具が置いてある。小川は吭《のど》が乾くので、急須《きゅうす》に一ぱい湯をさして、茶は出ても出なくても好いと思って、直ぐに茶碗に注いで、一口にぐっと呑《の》んだ。そして着ていたジャケツも脱がずに、行きなり布団の中に這入った。
 横になってから、頭の心が痛むのに気が附いた。「ああ、酒が変に利いた。誰だったか、丸く酔わないで三角に酔うと云ったが、己は三角に酔ったようだ。それに深淵|奴《め》があんな話をしやがるものだから、不愉快になってしまった。あいつ奴、妙な客間を拵《こしら》えやがったなあ。あいつの事だから、賭場《とば》でも始めるのじゃあるまいか。畜生。布団は軟かで好いが、厭《いや》な寝床だなあ。※[#「火+亢」、第4水準2−79−62]のようだ。そうだ。丸で※[#「火+亢」、第4水準2−79−62]だ。ああ。厭だ。」こんな事を思っているうちに、酔と疲れとが次第に意識を昏《くら》ましてしまった。
 小川はふいと目を醒ま
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