橋《ほんまちばし》東詰で、西町奉行堀に分れて入城した東町奉行跡部は、火が大手近く燃《も》えて来たので、夕《ゆふ》七つ時に又坂本以下の与力同心を率ゐて火事場に出馬した。丁度|火消人足《ひけしにんそく》が谷町で火を食ひ止めようとしてゐる所であつたが、人数が少いのと一同疲れてゐるのとのために、暮《くれ》六つ半《はん》に谷町代官所に火の移るのを防ぐことが出来なかつた。鎮火したのは翌二十日の宵《よひ》五つ半である。町数《まちかず》で言へば天満組四十二町、北組五十九町、南組十一町、家数《いへかず》、竈数《かまどかず》で言へば、三千三百八十九軒、一万二千五百七十八戸が災《わざはひ》に罹《かゝ》つたのである。

   十一、二月十九日の後の一、信貴越

 大阪|兵燹《へいせん》の余焔《よえん》が城内の篝火《かがりび》と共に闇《やみ》を照《てら》し、番場《ばんば》の原には避難した病人産婦の呻吟《しんぎん》を聞く二月十九日の夜、平野郷《ひらのがう》のとある森蔭《もりかげ》に体《からだ》を寄せ合つて寒さを凌《しの》いでゐる四人があつた。これは夜《よ》の明《あ》けぬ間《ま》に河内《かはち》へ越さうとして、身も
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