平八郎の叔父宮脇|志摩《しま》の所へ捕手《とりて》の向つたのは翌二十日で、宮脇は切腹して溜池《ためいけ》に飛び込んだ。船手《ふなて》奉行の手で、川口の舟を調べはじめたのは、中一日置いた二十一日の晩からである。城の兵備を撤《てつ》したのも二十一日である。
朝五つ時に天満《てんま》から始まつた火事は、大塩の同勢が到る処に大筒を打ち掛け火を放つたので、風の余り無い日でありながら、思《おもひ》の外《ほか》にひろがつた。天満は東が川崎、西が知源寺《ちげんじ》、摂津国町《つのくにまち》、又二郎町《またじらうまち》、越後町、旅籠町《はたごまち》、南が大川、北が与力町を界《さかひ》とし、大手前から船場《せんば》へ掛けての市街は、谷町《たにまち》一丁目から三丁目までを東界《ひがしさかひ》、上大《かみおほ》みそ筋から下難波橋《しもなんばばし》筋までを西界《にしさかひ》、内本町《うちほんまち》、太郎左衛門町《たらうざゑもんまち》、西入町《にしいりまち》、豊後町《ぶんごまち》、安土町《あづちまち》、魚屋町《うをやまち》を南界《みなみさかひ》、大川、土佐堀川を北界《きたさかひ》として、一面の焦土となつた。本町
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