貰ふことを頼むと云ふのである。平八郎の妾《めかけ》以下は、初め般若寺村《はんにやじむら》の橋本方へ立《た》ち退《の》いて、それから伊丹《いたみ》の紙屋某|方《かた》へ往つたのである。後に彼等が縛《ばく》に就《つ》いたのは京都であつたが、それは二人の妾が弓太郎《ゆみたろう》を残しては死なれぬと云ふので、橋本が連れてさまよひ歩いた末である。
暮《くれ》六つ頃から、天満橋北詰《てんまばしきたづめ》の人の目に立たぬ所に舟を寄せて、先づ橋本と作兵衛とが上陸した。次いで父|柏岡《かしはをか》、西村、茨田《いばらた》、高橋と瀬田に暇《いとま》を貰つた植松《うゑまつ》との五人が上陸した。後に茨田は瀬田の妻子を落《おと》して遣《や》つた上で自首し、父柏岡と高橋とも自首し、西村は江戸で願人坊主《ぐわんにんばうず》になつて、時疫《じえき》で死に、植松は京都で捕はれた。
跡《あと》に残つた人々は土佐堀川《とさぼりがは》から西横堀川《にしよこぼりがは》に這入《はひ》つて、新築地《しんつきぢ》に上陸した。平八郎、格之助、瀬田、渡辺、庄司、白井、杉山の七人である。人々は平八郎に迫《せま》つて所存《しよぞん》を問
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