打たれた船頭は器械的に起《た》つて纜《ともづな》を解いた。
 舟が中流に出てから、庄司は持つてゐた十|文目筒《もんめづゝ》、其外の人々は手鑓《てやり》を水中に投げた。それから川風の寒いのに、皆|着込《きごみ》を脱《ぬ》いで、これも水中に投げた。
「どつちへでも好いから漕《こ》いでをれ。」瀬田はかう云つて、船頭に艪《ろ》を操《あやつ》らせた。火災に遭《あ》つたものの荷物を運び出す舟が、大川《おほかは》にはばら蒔《ま》いたやうに浮かんでゐる。平八郎等の舟がそれに雑《まじ》つて上《のぼ》つたり下《く》だつたりしてゐても、誰も見咎《みとが》めるものはない。
 併《しか》し器械的に働いてゐる船頭は、次第に醒覚《せいかく》して来て、どうにかして早くこの気味の悪い客を上陸させてしまはうと思つた。「旦那方《だんながた》どこへお上《あが》りなさいます。」
「黙つてをれ」と瀬田が叱つた。
 平八郎は側《そば》にゐた高橋に何やらささやいだ。高橋は懐中から金を二両出して船頭の手に握らせた。「いかい世話になるのう。お前の名はなんと云ふかい。」
「へえ。これは済みません。直吉と申します。」
 これからは船頭が素直
前へ 次へ
全125ページ中68ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
森 鴎外 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング