の財を発するには、無道《むだう》の商《しやう》を滅《ほろぼ》さんではならぬと考へたのだ。己が意を此《こゝ》に決し、言《げん》を彼《かれ》に託《たく》し、格之助に丁打《ちやううち》をさせると称して、準備に取り掛つたのは、去年の秋であつた。それからは不平の事は日を逐《お》うて加はつても、準備の捗《はかど》つて行くのを顧みて、慰藉《ゐしや》を其中《そのうち》に求めてゐた。其間に半年立つた。さてけふになつて見れば、心に逡巡《しゆんじゆん》する怯《おくれ》もないが、又|踊躍《ようやく》する競《きほひ》もない。準備をしてゐる久しい間には、折々《をり/\》成功の時の光景が幻《まぼろし》のやうに目に浮かんで、地上に血を流す役人、脚下に頭《かうべ》を叩《たゝ》く金持、それから草木《さうもく》の風に靡《なび》くやうに来《きた》り附《ふ》する諸民が見えた。それが近頃はもうそんな幻《まぼろし》も見えなくなつた。己はまだ三十代で役を勤めてゐた頃、高井《たかゐ》殿に信任せられて、耶蘇《やそ》教徒を逮捕したり、奸吏《かんり》を糺弾《きうだん》したり、破戒僧を羅致《らち》したりしてゐながら、老婆|豊田貢《とよだみつぎ
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