飢饉になつた。五年に稍《やゝ》常《つね》に復しさうに見えるかと思ふと、冬から六年の春に掛けて雨がない。六年には東北に螟虫《めいちゆう》が出来る。海嘯《つなみ》がある。とう/\去年は五月から雨続きで、冬のやうに寒く、秋は大風《たいふう》大水《たいすゐ》があり、東北を始《はじめ》として全国の不作になつた。己は隠居してから心を著述に専《もつぱら》にして、古本大学刮目《こほんだいがくくわつもく》、洗心洞剳記《せんしんどうさつき》、同|附録抄《ふろくせう》、儒門空虚聚語《じゆもんくうきよしゆうご》、孝経彙註《かうきやうゐちゆう》の刻本が次第に完成し、剳記《さつき》を富士山の石室《せきしつ》に蔵《ざう》し、又|足代権太夫弘訓《あじろごんたいふひろのり》の勧《すゝめ》によつて、宮崎、林崎の両文庫に納《をさ》めて、学者としての志《こゝろざし》をも遂げたのだが、連年の飢饉、賤民の困窮を、目を塞《ふさ》いで見ずにはをられなかつた。そしてそれに対する町奉行以下諸役人の処置に平《たひら》かなることが出来なかつた。賑恤《しんじゆつ》もする。造酒《ざうしゆ》に制限も加へる。併《しか》し民の疾苦《しつく》は増すばか
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