や。」第一段とは朝岡の家を襲《おそ》ふことで、第二段とは北船場《きたせんば》へ進むことである。これは方略《はうりやく》に極《き》めてあつたのである。
「さあ」と瀬田が声を掛けて一座を顧《かへり》みると、皆席を起つた。中で人夫の募集を受け合つてゐた柏岡《かしはをか》伝七と、檄文《げきぶん》を配る役になつてゐた上田とは屋敷を出て往つた。間もなく家財や、はづした建具《たてぐ》を奥庭《おくには》へ運び出す音がし出した。
 平八郎は其儘《そのまゝ》端坐《たんざ》してゐる。そして熱した心の内を、此陰謀がいかに萌芽《はうが》し、いかに生長し、いかなる曲折を経《へ》て今に至つたと云ふことが夢のやうに往来する。平八郎はかう思ひ続けた。己《おれ》が自分の材幹《さいかん》と値遇《ちぐう》とによつて、吏胥《りしよ》として成《な》し遂《と》げられるだけの事を成し遂げた上で、身を引いた天保《てんぱう》元年は泰平であつた。民の休戚《きうせき》が米作《べいさく》の豊凶《ほうきよう》に繋《かゝ》つてゐる国では、豊年は泰平である。二年も豊作であつた。三年から気候が不順になつて、四年には東北の洪水のために、天明六七年以来の
前へ 次へ
全125ページ中37ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
森 鴎外 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング