手を放して一歩下がつた。そして刀を構《かま》へながら言分《いひわけ》らしく「先生のお指図《さしづ》だ」と云つた。
 宇津木は「うん」と云つた切《きり》、棒立《ぼうだち》に立つてゐる。
 大井は酔人《すゐじん》を虎が食《く》ひ兼《か》ねるやうに、良《やゝ》久しく立ち竦《すく》んでゐたが、やう/\思ひ切つて、「やつ」と声を掛けて真甲《まつかふ》を目掛《めが》けて切り下《おろ》した。宇津木が刀を受け取るやうに、俯向加減《うつむきかげん》になつたので、百会《ひやくゑ》の背後《うしろ》が縦《たて》に六寸程骨まで切れた。宇津木は其儘《そのまゝ》立つてゐる。大井は少し慌《あわ》てながら、二の太刀《たち》で宇津木の腹を刺した。刀は臍《ほぞ》の上から背へ抜けた。宇津木は縁側にぺたりとすわつた。大井は背後《うしろ》へ押し倒して喉《のど》を刺した。
 塀際《へいぎは》にゐた岡田は、宇津木の最期《さいご》を見届けるや否《いな》や、塀に沿うて東照宮《とうせうぐう》の境内《けいだい》へ抜ける非常口に駆け附けた。そして錠前《ぢやうまへ》を文鎮《ぶんちん》で開《あ》けて、こつそり大塩の屋敷を出た。岡田は二十日に京都に
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