るかと思つて、頸《くび》を延《の》ばして見ると、先生はいつもの通《とほり》に着布団《きぶとん》の襟《えり》を頤《あご》の下に挿《はさ》むやうにして寝てゐる。物音は次第に劇《はげ》しくなる。岡田は心のはつきりすると共に、尋常でない此屋敷の現状が意識に上つて来た。
岡田は跳《は》ね起《お》きた。宇津木の枕元《まくらもと》にゐざり寄つて、「先生」と声を掛けた。
宇津木は黙つて目を大きく開いた。眠つてはゐなかつたのである。
「先生。えらい騒ぎでございますが。」
「うん。知つてをる。己《おれ》は余り人を信じ過ぎて、君をまで危地《きち》に置いた。こらへてくれ給《たま》へ。去年の秋からの丁打《ちやううち》の支度《したく》が、仰山《ぎやうさん》だとは己《おれ》も思つた。それに門人中の老輩《らうはい》数人と、塾生の一半とが、次第に我々と疎遠になつて、何か我々の知らぬ事を知つてをるらしい素振《そぶり》をする。それを怪《あや》しいとは己《おれ》も思つた。併《しか》し己はゆうべまで事の真相を看破することが出来なかつた。所《ところ》が君、ゆうべ塾生一同に申し渡すことがあると云つて呼んだ、あの時の事だね。己は
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