《うつぎのりのすけ》と云ふものがある。平八郎の著《あらは》した大学刮目《だいがくくわつもく》の訓点《くんてん》を施《ほどこ》した一|人《にん》で、大塩の門人中学力の優《すぐ》れた方である。此宇津木が一昨年九州に遊歴して、連れて来た孫弟子がある。これは長崎|西築町《にしつきまち》の医師岡田|道玄《だうげん》の子で、名を良之進《りやうのしん》と云ふ。宇津木に連れられて親元を離れた時が十四歳だから、今年十六歳になつてゐる。
この岡田と云ふ少年が、けさ六つ半に目を醒《さ》ました。職人が多く入《い》り込《こ》むやうになつてから、随分騒がしい家ではあるが、けさは又格別である。がた/\、めり/\、みし/\と、物を打ち毀《こは》す音がする。しかと聴き定めようとして、床《とこ》の上にすわつてゐるうちに、今毀してゐる物が障子《しやうじ》襖《ふすま》だと云ふことが分かつた。それに雑《まじ》つて人声がする。「役に立たぬものは討《う》ち棄てい」と云ふ詞《ことば》がはつきり聞えた。岡田は怜悧《れいり》な、思慮のある少年であつたが、余り思ひ掛けぬ事なので、一旦夢ではないかと思つた。それから宇津木先生はどうしてゐ
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