》が平八郎の書斎で、中斎《ちゆうさい》と名づけてある。それから奥、東照宮《とうせうぐう》の境内《けいだい》の方へ向いた部屋々々《へや/″\》が家内《かない》のものの居所《ゐどころ》で、食事の時などに集まる広間には、鏡中看花館《きやうちゆうかんくわくわん》と云ふ※[#「はこがまえ+扁」、第4水準2−3−48、173−4]額《へんがく》が懸《か》かつてゐる。これだけの建物の内に起臥《きぐわ》してゐるものは、家族でも学生でも、悉《ことごと》く平八郎が独裁の杖《つゑ》の下《もと》に項《うなじ》を屈してゐる。当主格之助などは、旧塾に九人、新塾に十余人ゐる平《ひら》の学生に比べて、殆《ほとんど》何等《なにら》の特権をも有してをらぬのである。
東町奉行所で白刃《はくじん》の下《した》を脱《のが》れて、瀬田|済之助《せいのすけ》が此屋敷に駆け込んで来た時の屋敷は、決して此出来事を青天《せいてん》の霹靂《へきれき》として聞くやうな、平穏無事の光景《ありさま》ではなかつた。家内中《かないぢゆう》の女子供《をんなこども》はもう十日前に悉《ことごと》く立《た》ち退《の》かせてある。平八郎が二十六歳で番代《ば
前へ
次へ
全125ページ中22ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
森 鴎外 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング