うつたへ》で聞いてゐた事が、更に吉見と云ふものの訴で繰り返されたと云ふに過ぎない。これには決心を促《うなが》す動機としての価値は殆《ほとんど》無い。然《しか》るにその決心が跡部には出来て、前には腫物《はれもの》に障《さは》るやうにして平山を江戸へ立たせて置きながら、今は目前の瀬田、小泉に手を着けようとする。これは一昨日の夜平山の密訴《みつそ》を聞いた時にすべき決心を、今偶然の機縁に触れてしたやうなものである。
跡部は荻野等を呼んで、二|人《にん》を捕《とら》へることを命じた。その手筈《てはず》はかうである。奉行所に詰めるものは、先《ま》づ刀を脱《だつ》して詰所《つめしよ》の刀架《かたなかけ》に懸《か》ける。そこで脇差《わきざし》ばかり挿《さ》してゐて、奉行に呼ばれると、脇差をも畳廊下《たゝみらうか》に抜いて置いて、無腰《むこし》で御用談《ごようだん》の間《ま》に出る。この御用談の間に呼んで捕へようと云ふのが手筈である。併《しか》し万一の事があつたら切り棄てる外《ほか》ないと云ふので、奉行所に居合《ゐあは》せた剣術の師|一条一《いちでうはじめ》が切棄《きりすて》の役を引き受けた。
さ
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