。堀はそれを持たせて使《つかひ》を出した跡《あと》で、暫く腕組《うでぐみ》をして強《し》ひて気を落ち着けようとしてゐた。
堀はきのふ跡部《あとべ》に陰謀者の方略《はうりやく》を聞いた。けふの巡見を取り止めたのはそのためである。然《しか》るに只《たゞ》三月と書いて日附をせぬ吉見の訴状には、その方略は書いてない。吉見が未明に倅《せがれ》を托訴《たくそ》に出したのを見ると方略を知らぬのではない。書き入れる暇《ひま》がなかつたのだらう。東町奉行所へ訴へた平山は、今月十五日に渡辺良左衛門が来て、十九日の手筈《てはず》を話し、翌十六日に同志一同が集まつた席で、首領が方略を打ち明けたと云つたさうである。それは跡部と自分とが与力朝岡の役宅《やくたく》に休息してゐる所へ襲《おそ》つて来《こ》ようと云ふのである。一体吉見の訴状にはなんと云つてあつたか、それに添へてある檄文《げきぶん》にはどう書いてあるか、好く見て置かうと堀は考へて、書類を袖《そで》の中から出した。
堀は不安らしい目附《めつき》をして、二つの文書《ぶんしよ》をあちこち見競《みくら》べた。陰謀に対してどう云ふ手段を取らうと云ふ成案がないの
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