う》にもあつたのである。
 堀は八十次郎の方に向いた。「お前が河合八十次郎か。」
「はい。」頬《ほゝ》の円《まる》い英太郎と違つて、これは面長《おもなが》な少年であるが、同じやうに小気《こき》が利《き》いてゐて、臆《おく》する気色《けしき》は無い。
「お前の父はどういたしたのぢや。」
「母が申しました。先月の二十六日の晩であつたさうでございます。父は先生の所から帰つて、火箸《ひばし》で打擲《ちやうちやく》せられて残念だと申したさうでございます。あくる朝父は弟の謹之助《きんのすけ》を連れて、天満宮《てんまんぐう》へ参ると云つて出ましたが、それ切《きり》どちらへ参つたか、帰りません。」
「さうか。もう宜《よろ》しい。」かう云つて堀は中泉を顧みた。
「いかが取り計らひませう」と、中泉が主人の気色《けしき》を伺つた。
「番人を附けて留《と》め置け。」かう云つて置いて、堀は座を立つた。
 堀は居間に帰つて不安らしい様子をしてゐたが、忙《いそが》しげに手紙を書き出した。これは東町奉行に宛てて、当方にも訴人《そにん》があつた、当番の瀬田、小泉に油断せられるな、追附《おつつけ》参上すると書いたのである
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