京橋口に帰つて、同役馬場に此《この》顛末《てんまつ》を話して、一しよに東町奉行所前まで来て、大川《おほかは》を隔てて南北両方にひろがつて行く火事を見てゐた。
 御祓筋《おはらひすぢ》から高麗橋までは三丁余あるので、三|文目《もんめ》五|分筒《ふんづゝ》の射撃を、大塩の同勢《どうぜい》は知らずにしまつた。
 堀が出た跡《あと》の東町奉行所へ、玉造口へ往つた蒲生《がまふ》が大筒を受け取つて帰つた。蒲生は遠藤の所へ乗り付けて、大筒の事を言上《ごんじやう》すると、遠藤は岡|翁助《をうすけ》に当てて、平与力《ひらよりき》四人に大筒を持たせて、目附|中井半左衛門《なかゐはんざゑもん》方へ出せと云ふ達しをした。岡は柴田勘兵衛、石川彦兵衛に百|目筒《めづゝ》を一|挺《ちやう》宛《づゝ》、脇勝太郎、米倉倬次郎《よねくらたくじらう》に三十目筒一挺宛を持たせて中川方へ遣《や》つた。中川がをらぬので、四人は遠藤にことわつて、蒲生と一しよに東町奉行所へ来たのである。跡部《あとべ》は坂本が手の者と、今到着した与力四人とを併《あは》せて、玉造組の加勢与力七人、同心三十人を得たので、坂本を先に立てて出馬した。此一手は島町通を西へ進んで、同町二丁目の角から、内骨屋町筋《うちほねやまちすぢ》を南に折れ、それから内平野町《うちひらのまち》へ出て、再び西へ曲らうとした。
 此時大塩の同勢は、高麗橋を渡つた平八郎父子の手と、今橋を渡つた瀬田の手とが東横堀川《ひがしよこぼりがは》の東河岸《ひがしかし》に落ち合つて、南へ内平野町《うちひらのまち》まで押して行き、米店《こめみせ》数軒に火を掛けて平野橋《ひらのばし》の東詰《ひがしづめ》に引き上げてゐた。さうすると内骨屋町筋《うちほねやまちすぢ》から、神明《しんめい》の社《やしろ》の角をこつちへ曲がつて来る跡部《あとべ》の纏《まとひ》が見えた。二町足らず隔たつた纏《まとひ》を目当《めあて》に、格之助は木筒《きづゝ》を打たせた。
 跡部の手は停止した。与力|本多《ほんだ》や同心|山崎弥四郎《やまざきやしらう》が、坂本に「打ちませうか/\」と催促した。
 坂本は敵が見えぬので、「待て/\」と制しながら、神明《しんめい》の社《やしろ》の角に立つて見てゐると、やう/\烟の中に木筒《きづゝ》の口が現れた。「さあ、打て」と云つて、坂本は待ち構へた部下と一しよに小筒《こづゝ》をつるべかけた。
 烟が散つてから見れば、もう敵は退いて、道が橋向《はしむかう》まで開いてゐる。橋詰《はしづめ》近く進んで見ると、雑人《ざふにん》が一人打たれて死んでゐた。
 坂本は平野橋へ掛からうとしたが、東詰の両側の人家が焼けてゐるので、烟に噎《むせ》んで引き返した。そして始《はじめ》て敵に逢つて混乱してゐる跡部の手の者を押し分けながら、天神橋筋を少し南へ抜けて、豊後町《ぶんごまち》を西へ思案橋に出た。跡部は混乱の渦中に巻き込まれてとう/\落馬した。
 思案橋を渡つて、瓦町《かはらまち》を西へ進む坂本の跡には、本多、蒲生《がまふ》の外、同心山崎弥四郎、糟谷助蔵《かすやすけざう》等が切れ/″\に続いた。
 平野橋で跡部の手と衝突した大塩の同勢《どうぜい》は、又逃亡者が出たので百人|余《あまり》になり、浅手《あさで》を負《お》つた庄司に手当をして遣つて、平野橋の西詰から少し南へよぢれて、今|淡路町《あはぢまち》を西へ退く所である。
 北の淡路町を大塩の同勢が一歩先に西へ退くと、それと併行した南の瓦町通《かはらまちどほり》を坂本の手の者が一歩遅れて西へ進む。南北に通じた町を交叉《かうさ》する毎に、坂本は淡路町の方角を見ながら進む。一|丁目筋《ちやうめすぢ》と鍛冶屋町筋《かぢやまちすぢ》との交叉点では、もう敵が見えなかつた。
 堺筋《さかひすぢ》との交叉点に来た時、坂本はやう/\敵の砲車を認めた。黒羽織《くろばおり》を着た[#「着た」は底本では「来た」と誤記]大男がそれを挽《ひ》かせて西へ退かうとしてゐる所である。坂本は堺筋《さかひすぢ》西側の紙屋の戸口に紙荷《かみに》の積んであるのを小楯《こだて》に取つて、十|文目筒《もんめづゝ》で大筒方《おほづゝかた》らしい、彼《かの》黒羽織を狙《ねら》ふ。さうすると又《また》東側の用水桶の蔭から、大塩方の猟師金助が猟筒《れふづゝ》で坂本を狙ふ。坂本の背後《うしろ》にゐた本多が金助を見付けて、自分の小筒《こづゝ》で金助を狙ひながら、坂本に声を掛ける。併し二度まで呼んでも、坂本の耳に入らない。そのうち大筒方が少しづつ西へ歩くので、坂本は西側の人家に沿うて、十|間《けん》程《ほど》前へ出た。三人の筒は殆《ほとんど》同時に発射せられた。
 坂本の玉は大砲方《たいはうかた》の腰を打ち抜いた。金助の玉は坂本の陣笠《ぢんがさ》をかすつたが、坂本は只
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