見て、ばら/\と散つた。
北浜二丁目の辻に立つて、平八郎は同勢の渡つてしまふのを待つた。そのうち時刻は正午になつた。
方略の第二段に襲撃を加へることにしてある大阪富豪の家々は、北船場《きたせんば》に簇《むら》がつてゐるので、もう悉《ことごと》く指顧《しこ》の間《あひだ》にある。平八郎は倅《せがれ》格之助、瀬田以下の重立《おもだ》つた人々を呼んで、手筈《てはず》の通《とほり》に取り掛かれと命じた。北側の今橋筋《いまばしすぢ》には鴻池屋《こうのいけや》善右衛門、同《おなじく》庄兵衛、同善五郎、天王寺屋五兵衛、平野屋五兵衛等の大商人《おほしやうにん》がゐる。南側の高麗橋筋《かうらいばしすぢ》には三井、岩城桝屋《いはきますや》等の大店《おほみせ》がある。誰がどこに向ふと云ふこと、どう脅喝《けふかつ》してどう談判すると云ふこと、取り出した金銭米穀はどう取り扱ふと云ふこと抔《など》は、一々《いち/\》方略に取《と》り極《き》めてあつたので、ここでも為事《しごと》は自然に発展した。只|銭穀《せんこく》の取扱《とりあつかひ》だけは全く予定した所と相違して、雑人共《ざふにんども》は身に着《つけ》られる限《かぎり》の金銀を身に着けて、思ひ/\に立ち退《の》いてしまつた。鴻池本家《こうのいけほんけ》の外《ほか》は、大抵|金庫《かねぐら》を破壊せられたので、今橋筋には二分金《にぶきん》が道にばら蒔《ま》いてあつた。
平八郎は難波橋《なんばばし[#「なんばばし」は底本では「なんぱばし」と誤記]》の南詰《みなみづめ》に床几《しやうぎ》を立てさせて、白井、橋本、其外|若党《わかたう》中間《ちゆうげん》を傍《そば》にをらせ、腰に附けて出た握飯《にぎりめし》を噛《か》みながら、砲声の轟《とゞろ》き渡り、火焔《くわえん》の燃《も》え上がるのを見てゐた。そして心の内には自分が兼て排斥した枯寂《こじやく》の空《くう》を感じてゐた。昼八つ時《どき》に平八郎は引上《ひきあげ》の太鼓を打たせた。それを聞いて寄り集まつたのはやう/\百五十人|許《ばか》りであつた。その重立《おもだ》つた人々の顔には、言ひ合せた様な失望の色がある。これは富豪を懲《こら》すことは出来たが、窮民を賑《にぎは》すことが出来ないからである。切角《せつかく》発散した鹿台《ろくたい》の財を、徒《いたづら》に烏合《うがふ》の衆の攫《つか》み取るに任せたからである。
人々は黙つて平八郎の気色《けしき》を伺《うかが》つた。平八郎も黙つて人々の顔を見た。暫《しばら》くして瀬田が「まだ米店《こめみせ》が残つてゐましたな」と云つた。平八郎は夢を揺《ゆ》り覚《さま》されたやうに床几《しやうぎ》を起《た》つて、「好《よ》い、そんなら手配《てくばり》をせう」と云つた。そして残《のこり》の人数《にんず》を二手《ふたて》に分けて、自分達親子の一手は高麗橋《かうらいばし》を渡り、瀬田の一手は今橋《いまばし》を渡つて、内平野町《うちひらのまち》の米店《こめみせ》に向ふことにした。
八、高麗橋、平野橋、淡路町
土井の所へ報告に往つた堀が、東町奉行所に帰つて来て、跡部《あとべ》に土井の指図《さしづ》を伝へた。両町奉行に出馬せいと指図したのである。
「承知いたしました。そんなら拙者は手の者と玉造組《たまつくりぐみ》とを連れて出ることにいたしませう。」跡部はかう云つた儘《まゝ》すわつてゐた。
堀は土井の機嫌の悪いのを見て来たので、気がせいてゐた。そこで席を離れるや否《いな》や、部下の与力同心を呼び集めて東町奉行所の門前に出た。そこには広瀬が京橋組の同心三十人に小筒《こづゝ》を持たせて来てゐた。
「どこの組か」と堀が声を掛けた。
「京橋組でござります」と広瀬が答へた。
「そんなら先手《さきて》に立て」と堀が号令した。
同階級の坂本に対しては命令の筋道を論じた広瀬が、奉行の詞《ことば》を聞くと、一も二もなく領承した。そして鉄砲同心を引き纏《まと》めて、西組与力同心の前に立つた。
堀の手は島町通《しまゝちどほり》を西へ御祓筋《おはらひすぢ》まで進んだ。丁度大塩|父子《ふし》の率《ひき》ゐた手が高麗橋に掛かつた時で、橋の上に白旗《しらはた》が見えた。
「あれを打たせい」と、堀が広瀬に言つた。
広瀬が同心等に「打て」と云つた。
同心等の持つてゐた三|文目《もんめ》五|分筒《ふんづゝ》が煎豆《いりまめ》のやうな音を立てた。
堀の乗つてゐた馬が驚いて跳《は》ねた。堀はころりと馬から墜《お》ちた。それを見て同心等は「それ、お頭《かしら》が打たれた」と云つて、ぱつと散つた。堀は馬丁《ばてい》に馬を牽《ひ》かせて、御祓筋《おはらひすぢ》の会所《くわいしよ》に這入《はひ》つて休息した。部下を失つた広瀬は、暇乞《いとまごひ》をして
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