/\》しい陰謀事件が※[#「ごんべん+「墟」のつくり」、第4水準2−88−74、169−4]《うそ》かも知れぬと云ふ想像に伴ふ、一種の安心を感じた。そこで逮捕を見合せた。
 跡部は荻野《をぎの》等の話を聞いてから考へて見て、平山に今一度一大事を聞いた前後の事を精《くは》しく聞いて置けば好かつたと後悔した。をとつひの夜平山が来て、用人《ようにん》野々村次平に取り次いで貰《もら》つて、所謂《いはゆる》一大事の訴《うつたへ》をした時、跡部は急に思案して、突飛《とつぴ》な手段を取つた。尋常なら平山を留《と》め置《お》いて、陰謀を鎮圧する手段を取るべきであるのに、跡部はその決心が出来なかつた。若し平山を留め置いたら、陰謀者が露顕を悟つて、急に事を挙げはすまいかと懼《おそ》れ、さりとて平山を手放して此土地に置くのも心許《こゝろもと》ないと思つたのである。そこで江戸で勘定奉行になつてゐる前任西町奉行矢部|駿河守《するがのかみ》定謙に当てた私信を書いて、平山にそれを持たせて、急に江戸へ立たせたのである。平山はきのふ暁《あけ》七つ時《どき》に、小者《こもの》多助《たすけ》、雇人《やとひにん》弥助《やすけ》を連れて大阪を立つた。そして後《のち》十二日目の二月二十九日に、江戸の矢部が邸《やしき》に着いた。
 意志の確かでない跡部は、荻野等三人の詞《ことば》をたやすく聴《き》き納《い》れて、逮捕の事を見合《みあは》せたが、既にそれを見合せて置いて見ると、その見合せが自分の責任に帰すると云ふ所から、疑懼《ぎく》が生じて来た。延期は自分が極《き》めて堀に言つて遣《や》つた。若《も》し手遅れと云ふ問題が起ると、堀は免《まぬか》れて自分は免れぬのである。跡部が丁度この新《あらた》に生じた疑懼《ぎく》に悩まされてゐる所へ、堀の使《つかひ》が手紙を持つて来た。同じ陰謀に就いて西奉行所へも訴人《そにん》が出た、今日当番の瀬田、小泉に油断をするなと云ふ手紙である。
 跡部は此手紙を読んで突然決心して、当番の瀬田、小泉に手を着けることにした。此決心には少し不思議な処がある。堀の手紙には何一つ前に平山が訴へたより以上の事実を書いては無い。瀬田、小泉が陰謀の与党だと云ふことは、既に平山が云つたので、荻野等三人に内命を下すにも、跡部は綿密な警戒をした。さうして見れば、堀の手紙によつて得た所は、今まで平山一人の訴《うつたへ》で聞いてゐた事が、更に吉見と云ふものの訴で繰り返されたと云ふに過ぎない。これには決心を促《うなが》す動機としての価値は殆《ほとんど》無い。然《しか》るにその決心が跡部には出来て、前には腫物《はれもの》に障《さは》るやうにして平山を江戸へ立たせて置きながら、今は目前の瀬田、小泉に手を着けようとする。これは一昨日の夜平山の密訴《みつそ》を聞いた時にすべき決心を、今偶然の機縁に触れてしたやうなものである。
 跡部は荻野等を呼んで、二|人《にん》を捕《とら》へることを命じた。その手筈《てはず》はかうである。奉行所に詰めるものは、先《ま》づ刀を脱《だつ》して詰所《つめしよ》の刀架《かたなかけ》に懸《か》ける。そこで脇差《わきざし》ばかり挿《さ》してゐて、奉行に呼ばれると、脇差をも畳廊下《たゝみらうか》に抜いて置いて、無腰《むこし》で御用談《ごようだん》の間《ま》に出る。この御用談の間に呼んで捕へようと云ふのが手筈である。併《しか》し万一の事があつたら切り棄てる外《ほか》ないと云ふので、奉行所に居合《ゐあは》せた剣術の師|一条一《いちでうはじめ》が切棄《きりすて》の役を引き受けた。
 さて跡部は瀬田、小泉の二人を呼ばせた。それを聞いた時、瀬田は「暫時《ざんじ》御猶予《ごいうよ》を」と云つて便所に起《た》つた。小泉は一人いつもの畳廊下《たゝみらうか》まで来て、脇差を抜いて下に置かうとした。此畳廊下の横手に奉行の近習《きんじゆ》部屋がある。小泉が脇差を下に置くや否《いな》や、その近習部屋から一人の男が飛び出して、脇差に手を掛けた。「はつ」と思つた小泉は、一旦手を放した脇差を又|掴《つか》んだ。引き合ふはずみに鞘走《さやはし》つて、とう/\、小泉が手に白刃《しらは》が残つた。様子を見てゐた跡部が、「それ、切り棄てい」と云ふと、弓の間《ま》まで踏み出した小泉の背後《うしろ》から、一条が百会《ひやくゑ》の下へ二寸程切り附けた。次に右の肩尖《かたさき》を四寸程切り込んだ。小泉がよろめく所を、右の脇腹《わきはら》へ突《つき》を一本食はせた。東組与力小泉|淵次郎《えんじらう》は十八歳を一期《いちご》として、陰謀第一の犠牲として命《いのち》を隕《おと》した。花のやうな許嫁《いひなづけ》の妻があつたさうである。
 便所にゐた瀬田は素足《すあし》で庭へ飛び出して、一本の梅の木を足場にして、
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