く》を服したやうに元気を恢復して、もう遅れるやうな事はない。併《しか》し一歩々々危険な境に向つて進むのだと云ふ考《かんがへ》が念頭を去らぬので、先に立つて行く養父の背を望んで、驚異の情の次第に加はるのを禁ずることが出来ない。
十二、二月十九日後の二、美吉屋
大阪|油懸町《あぶらかけまち》の、紀伊国橋《きのくにばし》を南へ渡つて東へ入る南側で、東から二軒目に美吉屋《みよしや》と云ふ手拭地《てぬぐひぢ》の為入屋《しいれや》がある。主人五郎兵衛は六十二歳、妻つねは五十歳になつて、娘かつ、孫娘かくの外《ほか》、家内《かない》に下男《げなん》五人、下女《げぢよ》一人を使つてゐる。上下十人暮しである。五郎兵衛は年来大塩家に出入して、勝手向《かつてむき》の用を達《た》したこともあるので、二月十九日に暴動のあつた後は、町奉行所の沙汰《さた》で町預《まちあづけ》になつてゐる。
此|美吉屋《みよしや》で二月二十四日の晩に、いつものやうに主人が勝手に寝て、家族や奉公人を二階と台所とに寝させてゐると、宵《よひ》の五つ過に表の門を敲《たゝ》くものがある。主人が起きて誰《たれ》だと問へば、備前島町《びぜんしままち》河内屋《かはちや》八五郎の使《つかひ》だと云ふ。河内屋は兼《かね》て取引《とりひき》をしてゐる家なので、どんな用事があつて、夜《よ》に入《い》つて人をよこしたかと訝《いぶか》りながら、庭へ降りて潜戸《くゞりど》を開けた。
戸があくとすぐに、衣の上に鼠色《ねずみいろ》の木綿合羽《もめんかつぱ》をはおつた僧侶が二人つと這入《はひ》つて、低い声に力を入れて、早くその戸を締《し》めろと指図した。驚きながら見れば、二人共|僧形《そうぎやう》に不似合《ふにあひ》な脇差《わきざし》を左の手に持つてゐる。五郎兵衛はがた/\震えて、返事もせず、身動きもしない。先に這入つた年上の僧が目食《めく》はせをすると、跡《あと》から這入つた若い僧が五郎兵衛を押し除《の》けて戸締《とじまり》をした。
二人は縁《えん》に腰を掛けて、草鞋《わらぢ》の紐《ひも》を解《と》き始めた。五郎兵衛はそれを見てゐるうちに、再び驚いた。髪《かみ》をおろして相好《さうがう》は変つてゐても、大塩親子だと分かつたからである。「や。大塩様ではございませんか。」「名なんぞを言ふな」と、平八郎が叱るやうに云つた。
二人は黙つ
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