し》へ出た。途中で道に沿うて建て並べた土蔵の一つが焼け崩れて、壁の裾《すそ》だけ残つた中に、青い火がちよろ/\と燃《も》えてゐるのを、平八郎が足を停《と》めて見て、懐《ふところ》から巻物を出して焔《ほのほ》の中に投げた。これは陰謀の檄文《げきぶん》と軍令状とを書いた裏へ、今年の正月八日から二月十五日までの間に、同盟者に記名調印させた連判状《れんぱんじやう》であつた。
十四人はたつた今七八十人の同勢を率《ひき》ゐて渡つた高麗橋《かうらいばし》を、殆《ほとんど》世を隔てたやうな思《おもひ》をして、同じ方向に渡つた。河岸《かし》に沿うて曲つて、天神橋詰《てんじんばしづめ》を過ぎ、八軒屋に出たのは七つ時であつた。ふと見れば、桟橋《さんばし》に一|艘《さう》の舟が繋《つな》いであつた。船頭が一人|艫《とも》の方に蹲《うづくま》つてゐる。土地のものが火事なんぞの時、荷物を積んで逃げる、屋形《やかた》のやうな、余り大きくない舟である。平八郎は一行に目食《めく》はせをして、此舟に飛び乗つた。跡《あと》から十三人がどや/\と乗込《のりこ》んだ。
「こら。舟を出せ。」かう叫んだのは瀬田である。
不意を打たれた船頭は器械的に起《た》つて纜《ともづな》を解いた。
舟が中流に出てから、庄司は持つてゐた十|文目筒《もんめづゝ》、其外の人々は手鑓《てやり》を水中に投げた。それから川風の寒いのに、皆|着込《きごみ》を脱《ぬ》いで、これも水中に投げた。
「どつちへでも好いから漕《こ》いでをれ。」瀬田はかう云つて、船頭に艪《ろ》を操《あやつ》らせた。火災に遭《あ》つたものの荷物を運び出す舟が、大川《おほかは》にはばら蒔《ま》いたやうに浮かんでゐる。平八郎等の舟がそれに雑《まじ》つて上《のぼ》つたり下《く》だつたりしてゐても、誰も見咎《みとが》めるものはない。
併《しか》し器械的に働いてゐる船頭は、次第に醒覚《せいかく》して来て、どうにかして早くこの気味の悪い客を上陸させてしまはうと思つた。「旦那方《だんながた》どこへお上《あが》りなさいます。」
「黙つてをれ」と瀬田が叱つた。
平八郎は側《そば》にゐた高橋に何やらささやいだ。高橋は懐中から金を二両出して船頭の手に握らせた。「いかい世話になるのう。お前の名はなんと云ふかい。」
「へえ。これは済みません。直吉と申します。」
これからは船頭が素直
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