Bドメニカ[#「ドメニカ」に傍線]は忝《かたじけな》しとて涙を流しつ。
 ドメニカ[#「ドメニカ」に傍線]はわが日ごろ書き棄てたる反古《ほご》あまた取り出でゝ、客に示しゝに、客は我頬を撫で、小きサルワトル・ロオザ[#「サルワトル・ロオザ」に傍線](名高き畫工)よと讚め稱へぬ。媼。まことに宣《のたま》ふ如し。穉きものゝ業《わざ》としては、珍しくは候はずや。それ/\の形明に備はりたり。この水牛を見給へ。この舟を見給へ。こはまた我等の住める小家なり。こは我姿を寫したるなり。鉛筆なれば、色こそ異なれ、わが姿のその儘ならずや。又我に向ひて、何にもあれ、この御方に歌ひて聞せよ。自ら作りて歌ふが好し。この童は長き物語、こまやかなる法話をさへ、歌に作りて歌ひ侍り。年|長《た》けたる僧にも劣らじと覺ゆ。客は我等二人のさまを見て、おもしろがり、我には疾《と》く歌ひて聞せよ、と勸めつ。われは常の如く遠慮なく歌ひぬ。媼は常の如くほめそやしつ。されど其歌をば記憶せず。唯だ聖母、貴き客人、水牛の三つをくりかへしたるをば未だ忘れず。客は默坐して聽きゐたり。媼はそのさまを見て、童の才に驚きて詞なきならんと推し量《はか》りつ。
 歌ひ畢《をは》りしとき、客は口を開きていふやう。さらば明日疾くその子を伴ひ來よ。否、夕暮のかたよろしからん。「アヱ、マリア」の鐘鳴る時より、一時ばかり早く來よ。さて我は最早|退《まか》るべきが、いづくよりか出づべき。水牛の塞ぎたる口の外、この家には口はなきか。又こゝを出でゝ車まで行かんに、水牛に追はるゝやうなる虞《おそれ》なからしめんには、いかにして好かるべきか。媼。かしこの壁に穴ありて、それより這ひ出づるときは、石垣も高からねば、すべりおりんこと難からず。わが如き老いたるものも、かしこより出入すべく覺え侍り。されど貴きおん方を案内しまゐらすべき口にはあらず。客は聞きも果てず、梯を上りて、穴より頭を出し、外の方を覗きていふやう。否、善き降口なり。「カピトリウム」に降りゆく階段にも讓らず。水牛の群は河のかたに遠ざかりぬ。道には眠たげなる百姓あまた、籘《とう》の束積みたる車を、馬に引かせて行けり。あの車に沿ひゆかば、また水牛に襲はるとも身を匿《かく》すに便よからん。かく見定めて、客は媼に手を吸はせ、わが頬を撫で、再びあすの事を契りおきて、茂れる蔦かづらの間をすべりおりぬ。われは窓より見送りしが、客は間もなく籘の車に追ひすがりて、百姓の群と倶《とも》に見えずなりぬ。

   みたち

 牧者二三人の※[#「邦/巾」、第4水準2−8−86]《たすけ》を得て、ベネデツトオ[#「ベネデツトオ」に傍線]は戸口なる水牛の屍《かばね》を取り片付けつ。その日の物語は止むときなかりしかど、今はよくも記《おぼ》えず。翌朝疾く起きいでゝ、夕暮に都に行かんと支度に取り掛りぬ。數月の間行李の中に鎖されゐたる我|晴衣《はれぎ》はとり出されぬ。帽には美しき薔薇の花を※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]したり。身のまはりにて、最も怪しげなりしは履《はき》ものなり。靴とはいへど羅馬の鞋《サンダラ》に近く覺えられき。
 カムパニア[#「カムパニア」に二重傍線]の野道の遠かりしことよ。その照る日の烈しかりしことよ。ポヽロ[#「ポヽロ」に二重傍線]の廣こうぢに出でゝ、記念塔のめぐりなる石獅の口より吐ける水を掬《むす》びて、我涸れたる咽《のんど》を潤《うるほ》しゝが、その味は人となりて後フアレルナ[#「フアレルナ」に二重傍線]、チプリイ[#「チプリイ」に二重傍線]の酒なんどを飮みたるにも増して旨かりき。〔北より羅馬に入るものは、ポルタア、デル、ポヽロ[#「ポルタア、デル、ポヽロ」に二重傍線]の關を入りて、ピアツツア、デル、ポヽロ[#「ピアツツア、デル、ポヽロ」に二重傍線]といふ美しく大なる廣こうぢに出づ。この廣こうぢはテヱエル[#「テヱエル」に二重傍線]河とピンチヨオ[#「ピンチヨオ」に二重傍線]山との間にあり。兩側にはいとすぎ、亞刺比亞《アラビア》護謨《ゴム》の木(アカチア)茂りあひて、その下かげに今樣なる石像、噴水などあり。中央には四つの石獅に圍まれたる、セソストリス[#「セソストリス」に傍線]時代の記念塔あり。前には三條の直道あり。即ちヰア、バブヰノ[#「ヰア、バブヰノ」に二重傍線]、イル、コルソオ[#「イル、コルソオ」に二重傍線]、ヰア、リペツタ[#「ヰア、リペツタ」に二重傍線]なり。イル、コルソオ[#「イル、コルソオ」に二重傍線]の兩角をなしたるは、同じ式に建てたる兩|伽藍《がらん》なり。歐羅巴《ヨオロツパ》に都會多しと雖、古羅馬のピアツツア、デル、ポヽロ[#「ピアツツア、デル、ポヽロ」に二重傍線]ほど晴やかなるはあらじ。〕我は熱き頬を獅子の口に押し當て、水を頭に被りぬ。衣や潤《うるほ》はん、髮や亂れん、とドメニカ[#「ドメニカ」に傍線]は氣遣ひぬ。ヰア、リペツタ[#「ヰア、リペツタ」に二重傍線]を下りゆきて、ボルゲエゼ[#「ボルゲエゼ」に傍線]の館に近づきぬ。我もドメニカ[#「ドメニカ」に傍線]も、此館の前をば幾度となく過《よぎ》りしかど、けふ迄は心とめて見しことなし。今歩を停めて仰ぎ見れば、その大さ、その豐さ、その美しさ、譬へんに物なしと覺えき。殊に目を駭《おどろ》かせるは、窓の裡なる長き絹の帷《とばり》なり。あの内にいます君は、いま我等が識る人となりぬ。きのふその君の我家に來給ひし如く、いま我等はそのみたちに入らんとす。斯く思へば嬉しさいかばかりならん。
 中庭、部屋々々を見しとき、身の震ひたるをば、われ決して忘れざるべし。あるじの君は我に親し。彼も人なり。我も人なり。然《さ》はあれどこの家居のさまこそ譬へても言はれね。聖《ひじり》と世の常の人との別もかくやあらん。方形をなして、いろ/\なる全身像、半身像を据ゑつけたる、白塗の※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]廊のいと高きが、小き園を繞《めぐ》れるあり。(後にはこゝに瓦を敷きて中庭とせり。)高き蘆薈《ろくわい》、霸王樹《はわうじゆ》なんど、廊の柱に攀《よ》ぢんとす。檸檬樹《リモネ》はまだ日の光に黄金色に染められざる、緑の實を垂れたり。希臘《ギリシヤ》の舞女の形したる像二つあり。力を併《あは》せて、金盤一つさし上げたるがその縁少しく欹《そば》だちて、水は肩に迸《はし》り落ちたり。丈高く育ちたる水草ありて、露けき緑葉もてこの像を掩《おほ》はんとす。烈しき日に燒かれたるカムパニア[#「カムパニア」に二重傍線]の瘠土に比ぶるときは、この園の涼しさ、香《かぐは》しさ奈何《いかに》ぞや。
 闊《ひろ》き大理石の梯を登りぬ。龕《がん》あまたありて、貴き石像立てり。其一つをば、ドメニカ[#「ドメニカ」に傍線]聖母ならんと思ひ惑ひて、立ち停りてぬかづきぬ。後に聞けば、こはヱスタ[#「ヱスタ」に傍線]の像なりき。これも人間の奇《く》しき處女にぞありける。(譯者のいはく。希臘の竈《かまど》の神なり。男神二人に挑《いど》まれて、嫁せずして終りぬと云ひ傳ふ。)飾美しき「リフレア」着たる僮《しもべ》出で迎へつ。その面持《おももち》の優しさには、こゝの間《ま》ごとの大さ、美しさかくまでならずば、我胸の躍ることさへ治りしならん。床は鏡の如き大理石なり。壁といふ壁には、めでたき畫を貼《てふ》したり。その間々には、玻※[#「王+黎」、第3水準1−88−35]《はり》鏡を嵌《は》め、その上に花束、はなの環など持たる神童の飛行せるを畫きたり。又色美しき鳥の、翼を放ちて、赤き、黄なる、さま/″\の木の實を啄《ついば》めるを畫きたるあり。かく華やかなるものをば、今まで見しことあらざりき。
 暫し待つほどに、あるじの君出でましぬ。白衣着たる、美しき貴婦人の、大なる敏《さと》き目を我等に注ぎたるを、伴ひ給へり。婦人は我額髮を撫で上げ、鋭けれども優しき目にて、我面を打ち守り、さなり、君を助けしは神のみつかひなり、この見ぐるしき衣の下に、翼はかくれたるべしと宣《のたま》ひぬ。主人。否、この兒の紅なる頬を見給へ。翼の生ゆるまでにはテヱエル[#「テヱエル」に二重傍線]の河波あまた海に入るならん。母もこの兒の飛び去らんをば願はざるべし。さにあらずや。この兒を失はんことは、つらかるべし。媼。げにこの兒あらずなりなば、我小家の戸も窓も塞がりたるやうなる心地やせん。我小家は暗く、寂しくなるべし。否、このかはゆき兒には、われえ別れざるべし。婦人。されど今宵しばらくは、別るとも好からん。二三時間立ちて迎へに來よ。歸路は月あかゝるべし。そち達は盜《ぬすびと》を恐るゝことはあらじ。主人。さなり。兒をばしばしこゝにおきて、買ふものあらば買ひもて來よ。斯く云ひつゝ、主人は小き財嚢《かねいれ》をドメニカ[#「ドメニカ」に傍線]が手に渡し、猶何事をか語り給ふに、我は貴婦人に引かれて奧に入りぬ。
 奧の座敷の美しさ、賓客の貴さに、我魂は奪はれぬ。我はあるは壁に畫ける神童の面の、緑なる草木の間にほゝゑめるを見、あるは日ごろ半ば神のやうにおもひし、紫の韈《くつした》穿《は》ける議官《セナトオレ》、紅の袴着たる僧官《カルヂナアレ》達を見て、おのれがかゝる間に入り、かゝる人に交ることを訝《いぶか》りぬ。殊に我眼をひきしは、一間の中央なる大水盤なり。醜き龍に騎《の》りたる、美しきアモオル[#「アモオル」に傍線]の神を据ゑたり。龍の口よりは、水高く迸り出でゝ、又盤中に落ちたり。
 貴婦人のこはをぢの命を救ひし兒ぞ、と引き合せ給ひしとき、賓客達は皆ほゝゑみて、我に詞を掛け、議官僧官さへ頷き給ひぬ。法皇の禁軍《まもりのつはもの》の號衣《しるし》を着たる、少《わか》く美しき士官は我手を握りぬ。人々さま/″\の事を問ふに、我は臆することなく答へつ。その詞に、人々或は譽めそやし、或は高く笑ひぬ。主人入り來りて、我に歌うたへといふに、我は喜んで命に從ひぬ。士官は我に報せんとて、泡立てる酒を酌みてわたしゝかば、我何の心もつかで飮み乾さんとせしに、貴婦人|快《はや》く傍より取り給ひぬ。我口に入りしは少許《すこしばかり》なるに、その酒は火の如く※[#「諂のつくり+炎」、第3水準1−87−64]《ほのほ》の如く、脈々をめぐりぬ。貴婦人はなほ我傍を離れず、笑を含みて立ち給へり。士官我にこの御方の上を歌へと勸めしに、我又喜んで歌ひぬ。何事をか聯《つら》ねけん、いまは覺えず。人々はわが詞の多かりしを、才豐なりと稱へ、わが臆せざるを、心|敏《さと》しと譽めたり。カムパニア[#「カムパニア」に二重傍線]なる貧きものゝ子なりとおもへば、世の常なる作をも、天才の爲せるわざの如く、愛《め》でくつがへるなるべし。人々は掌を鳴せり。士官は座の隅なる石像に戴かせたりし、美しき月桂冠を取り來りて、笑みつゝ我頭の上に安んじたり。こは固《もと》より戲謔に過ぎざりき。されどわが幼き心には、其間に眞面目なる榮譽もありと覺えられて、又なく嬉しかりき。我は尚席上にて、マリウチア[#「マリウチア」に傍線]、ドメニカ[#「ドメニカ」に傍線]等に教へられし歌をうたひ、又曠野の中なる古墳の栖家《すみか》、眼の光おそろしき水牛の事など人々に語り聞せつ。時は惜めども早く過ぎて、我は媼に引かれて歸りぬ。くだもの、果子など多く賜り、白銀幾つか兜兒《かくし》にさへ入れられたるわが喜はいふもさらなり、媼は衣服、器什くさ/″\の外、二瓶の葡萄酒をさへ購《あがなひ》ひ得て、幸《さち》ある日ぞとおもふなるべし。夜は草木の上に眠れり。されど仰いでおほ空を見れば、皎々《かう/\》たる望月《もちづき》、黄金の船の如く、藍碧なる青雲の海に泛《うか》びて、焦《こが》れたるカムパニア[#「カムパニア」に二重傍線]の野邊に涼をおくり降せり。
 家に還りてより、優しき貴女の姿、賑はしき拍手の聲、寤寐《ごび》の間斷えず耳目を往來せり。喜ばしきは折々我夢の現《うつゝ》になりて、又ボルゲエゼ[#「ボルゲエゼ」に傍線]の館に迎へらるゝ事なりき。かの貴
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