ャうま》あり、牛ありて草を食《は》みたり。あはれ、こゝには猶我に迫り、我を窘《くるし》めざる生物こそあれ。
月あきらかなれば、物として見えぬはなし。遠き方より人の來り近づくあり。若し我を索《もと》むるものならば奈何せん。われは巨巖の如くに我前に在る「コリゼエオ」に匿《かく》れたり。われは猶きのふ落《らく》したる如き重廊の上に立てり。こゝは暗くして且《また》冷《ひやゝか》なり。われは二あし三あし進み入りぬ。されど谺響《こだま》にひゞく足音《あのと》おそろしければ、徐《しづか》に歩を運びたり。先の方には焚火する人あり。三人の形明に見ゆ。寂しきカムパニア[#「カムパニア」に二重傍線]の野邊を夜更けては過ぎじとて、こゝに宿りし農夫にやあらん。さらずばこゝを戍《まも》る兵土にや。はた盜《ぬすびと》にや。さおもへば打物の石に觸るゝ音も聞ゆる如し。われは却歩《あとしざり》して、高き圓柱の上に、木梢《こずゑ》と蔦蘿《つたかづら》とのおほひをなしたるところに出でぬ。石がきの面をばあやしき影往來す。處々に抽《ぬ》け出でたる截石《きりいし》の將《まさ》に墜《おち》んとして僅に懸りたるさま、唯だ蔓草にのみ支へられたるかと疑はる。
上の方なる中の廊を行く人あり。旅人の此古跡の月を見んとて來ぬるなるべし。その一群のうちには白き衣着たる婦人あり。案内者に續松《ついまつ》とらせて行きつゝ、柱しげき間に、忽ち顯《あらは》れ忽ち隱るゝ光景今も見ゆらん心地す。
暗碧なる夜は大地を覆ひ來たり、高低さまざまなる木は天鵝絨《びろうど》の如き色に見ゆ。一葉ごとに夜氣を吐けり。旅人のかへり行くあとを見送りて、ついまつの赤き光さへ見えずなりぬる時、あたりは闃《げき》として物音絶えたり。この遺址《ゐし》のうちには、耶蘇教徒が立てたる木卓あまたあり。その一つの片かげに、柱頭ありて草に埋もれたれば、われはこれに腰掛けつ。石は氷の如く冷なるに、我頭の熱さは熱を病むが如くなりき。寐られぬまゝに思ひ出づるは、この「コリゼエオ」の昔語なり。猶太《ユダヤ》教奉ずる囚人が、羅馬の帝《みかど》の嚴しき仰によりて、大石を引き上げさせられしこと、この平地にて獸を鬪はせ、又人と獸と相|搏《う》たせて、前低く後高き廊の上より、あまたの市民これを觀きといふ事、皆我當時の心頭に上りぬ。
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そも/\この「コリゼエオ」は楕圓なる四層のたてものにして、「トラヱルチイノ」石もてこれを造る。層ごとに組かたを殊にす。「ドロス」、「イオン」、「コリントス」の柱の式皆備はりたり。基督生れてより七十餘年の後、ヱスパジアヌス[#「ヱスパジアヌス」に傍線]帝の時、この工事を起しつ。これに役せられたる猶太教徒の數一萬二千人とぞ聞えし。櫛形の迫持《せりもち》八十ありて、これをめぐれば千六百四十一歩。平地の周匝《めぐり》には八萬六千坐を設け、頂に二萬人を立たしむべかりきといふ。今はこゝにて基督教の祭儀を執行せしむ。バイロン[#「バイロン」に傍線]卿詩あり。
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この場《には》のあらん限は
内日《うちひ》刺《さ》す都もあらん
このにはのなからん時は
うちひさす都もあらじ
うちひさす都あらずば
あはれ/\この世間《よのなか》もあらじとぞおもふ
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頭の上にあたりて物音こそすれ。見あぐれば物の動くやうにこそおもはるれ。影の如き人ありて、椎《つち》を揮《ふる》ひ石をたゝむが如し。その人を見れば、色蒼ざめて黒き髯長く生ひたり。これ話に聞きし猶太教徒なるべし。積み疊ぬる石は見る見る高くなりぬ。「コリゼエオ」は再び昔のさまに立ちて、幾千萬とも知られぬ人これに滿ちたり。長き白き衣着たるヱスタ[#「ヱスタ」に傍線]の神の巫女《みこ》あり。帝王の座も設けられたり。赤條々《あかはだか》なる力士の血を流せるあり。低き廊の方より叫ぶ聲、吼《ほ》ゆる聲聞ゆ。忽ち虎豹の群ありて我前を奔《はし》り過ぐ。我はその血ばしる眼を見、その熱き息に觸れたり。あまりのおそろしさに、かの柱頭にひたと抱きつきて、聖母の御名をとなふれども、物騷がしさは未だ止まず。この怪しき物共の群《むらが》りたる間にも、幸なるかな、大なる十字架の屹《きつ》として立てるあり。こはわがこゝを過ぐるごとに接吻したるものなり。これを目當に走り寄りて、緊《しか》と抱きつくほどに、石落ち柱倒れ、人も獸もあらずなりて、我は復《ま》た人事をしらず。
人心地つきたる時は、熱すでに退きたれど、身は尚いたく疲れて、われはかの木づくりの十字架の下に臥したり。あたりを見るに、怪しき事もなし。夜は靜にして、高き石垣の上には鶯鳴けり。われは耶蘇をおもひ、その母をおもひぬ。わが母上は今あらねば、これよりは耶蘇の母ぞ我母なるべき。われは十字架を抱きて、その柱に頭を寄せて眠りぬ。
幾時をか眠りけん。歌の聲に醒《さ》むれば、石垣の頂には日の光かゞやき、「カツプチノ」僧二三人蝋燭を把《と》りて卓より卓に歩みゆきつゝ、「キユリエ、エレイソン」(主よ、憫《あはれ》め)と歌へり。僧は十字架に來り近づきぬ。俯して我面を見るものは、フラア・マルチノ[#「フラア・マルチノ」に傍線]なりき。わが色蒼ざめてこゝにあるを訝《いぶか》りて、何事のありしぞと問ひぬ。われはいかに答へしか知らず。されどペツポ[#「ペツポ」に傍線]のをぢの恐ろしさを聞きたるのみにて、僧は我上を推し得たり。我は衣の袖に縋りて、我を見棄て給ふなと願ひぬ。連なる僧もわれをあはれと思へる如し。かれ等は皆我を知れり。われはその部屋をおとづれ、彼等と共に寺にて歌ひしことあり。
僧は我を伴ひて寺に歸りぬ。壁に木板の畫を貼《てう》したる房に入り、檸檬《リモネ》樹の枝さし入れたる窓を見て、われはきのふの苦を忘れぬ。フラア・マルチノ[#「フラア・マルチノ」に傍線]は我をペツポ[#「ペツポ」に傍線]が許へは還《かへ》さじと誓ひ給へり。同寮の僧にも、このちごをば蹇《あしな》へたる丐兒《かたゐ》にわたされずとのたまふを聞きつ。
午のころ僧は莱※[#「くさかんむり/服」、第4水準2−86−29]《あほね》、麪包《パン》、葡萄酒を取り來りて我に飮啖《いんたん》せしめ、さて容《かたち》を正していふやう。便《びん》なき童よ。母だに世にあらば、この別《わかれ》はあるまじきを。母だに世にあらば、この寺の内にありて、尊き御蔭を被り、安らかに人となるべかりしを。今は是非なき事となりぬ。そちは波風荒き海に浮ばんとす。寄るところは一ひらの板のみ。血を流し給へる耶蘇、涙を墮《おと》し給ふ聖母をな忘れそ。汝が族《うから》といふものは、その外にあらじかし。此詞を聞きて、われは身を震はせ、さらば我をばいづかたにか遣らんとし給ふと問ひぬ。これより僧は、われをカムパニア[#「カムパニア」に二重傍線]の野なる牧者夫婦にあづくること、二人をば父母の如く敬ふべき事、かねて教へおきし祈祷の詞を忘るべからざる事など語り出でぬ。夕暮にマリウチア[#「マリウチア」に傍線]と其父とは寺門迄迎へに來ぬ。僧はわれを伴ひ出でゝ引き渡しつ。この牧者のさまを見るに、衣はペツポ[#「ペツポ」に傍線]のをぢのより舊《ふ》りたるべし。塵を蒙り、裂けやぶれたる皮靴を穿《は》き、膝を露《あらは》し、野の花を※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]したる尖帽《せんばう》を戴けり。かれは跪《ひざまづ》きて僧の手に接吻し、我を顧みて、かゝる美しき童なれば、我のみかは、妻も喜びてもり育てんと誓ひぬ。マリウチア[#「マリウチア」に傍線]は財嚢を父にわたしつ。われ等四人はこれより寺に入りて、人々皆默祷す。われも共に跪きしが、祈祷の詞は出でざりき。我眼は久しき馴染《なじみ》の諸像を見たり。戸の上高きところを舟に乘りてゆき給ふ耶蘇、贄卓《にへづくゑ》の神の使、美しきミケル[#「ミケル」に傍線]はいふもさらなり、蔦かづらの環を戴きたる髑髏《どくろ》にも暇乞しつ。別に臨みて、フラア・マルチノ[#「フラア・マルチノ」に傍線]は手を我頭上に加へ、晩餐式施行法(モオドオ、ヂ、セルヰレ、ラ、サンクタ、メツサア)と題したる、繪入の小册子を贈《おく》りぬ。
既に別れて、ピアツツア、バルベリイニ[#「ピアツツア、バルベリイニ」に二重傍線]の街を過ぐとて、仰いで母上の住み給ひし家をみれば、窓といふ窓悉く開け放たれたり。新しきあるじを待つにやあらん。
曠野《あらの》
羅馬城のめぐりなる大曠野《だいくわうや》は、今我すみかとなりぬ。古跡をたづね、美術を究めんと、初てテヱエル[#「テヱエル」に二重傍線]河畔の古都に近づくものは、必ずこの荒野に歩をとゞめて、これを萬國史の一ひらと看做《みな》すなり。起《た》てる丘、伏したる谷、おほよそ眼に觸るゝもの、一つとして史册中の奇怪なる古文字にあらざるなし。畫工の來るや、古の水道のなごりなる、寂しき櫛形|迫持《せりもち》を寫し、羊の群を牽《ひき》ゐたる牧者を寫し、さてその前に枯れたる薊《あざみ》を寫すのみ。歸りてこれを人に示せば、看るもの皆めでくつがへるなるべし。されど我と牧者とは、おの/\其情を殊にせり。牧者は久しくこゝに住ひて、この焦《こが》れたる如き草を見、この熱き風に吹かれ、こゝに行はるゝ疫癘《えやみ》に苦められたれば、唯だあしき方、忌まはしき方のみをや思ふらん。我は此景に對して、いと面白くぞ覺えし。平原の一面たる山々の濃淡いろいろなる緑を染め出したる、おそろしき水牛、テヱエル[#「テヱエル」に二重傍線]の黄なる流、これを溯《さかのぼ》る舟、岸邊を牽かるゝ軛《くびき》負《お》ひたる牧牛、皆目新しきものゝみなりき。われ等は流に溯りて行きぬ。足の下なるは丈低く黄なる草、身のめぐりなるは莖長く枯れたる薊のみ。十字架の側を過ぐ。こは人の殺されたるあとに立てしなり。架《か》に近きところには、盜人の屍の切り碎きて棄てたるなり。隻腕《かたうで》、隻脚《かたあし》は猶その形を存じたり。それさへ心を寒からしむるに、我|栖《すみか》はこゝより遠からずとぞいふなる。
此家は古の墳墓の址《あと》なり。この類《たぐひ》の穴こゝらあれば、牧者となるもの大抵これに住みて、身を戍《まも》るにも、又身を安んずるにも、事足れりとおもへるなり。用なき窪《くぼみ》をば填《う》め、いらぬ罅《すきま》をば塞ぎ、上に草を葺《ふ》けば、家すでに成れり。我牧者の家は丘の上にありて兩層あり。隘《せば》き戸口なるコリントス[#「コリントス」に二重傍線]がたの柱は、當初墳墓を築きしときの面影なるべし。石垣の間なる、幅廣き三條の柱は、後の修繕ならん。おもふに中古は砦《とりで》にやしたりけん。戸口の上に穴あり。これ窓なるべし。屋根の半は葦簾《よしすだれ》に枯枝をまじへて葺き、半は又枝さしかはしたる古木をその儘に用ゐたるが、その梢よりは忍冬《にんどう》(カプリフオリウム)の蔓長く垂れて石垣にかゝりたり。
こゝが家ぞ、と途すがら一言も物いはざりしベネデツトオ[#「ベネデツトオ」に傍線]告げぬ。われは怪しげなる家を望み、またかの盜人の屍をかへり見て、こゝに住むことか、と問ひかへしつ。翁《おきな》にドメニカ[#「ドメニカ」に傍線]、ドメニカ[#「ドメニカ」に傍線]と呼ばれて、荒※[#「栲」のおいがしらの下が「丁」、第4水準2−14−59]《あらたへ》の汗衫《はだぎ》ひとつ着たる媼《おうな》出《い》でぬ。手足をばことごとく露《あらは》して髮をばふり亂したり。媼は我を抱き寄せて、あまたゝび接吻す。夫の詞少きとはうらうへにて、この媼はめづらしき饒舌《ぜうぜつ》なり。そなたは薊生ふる沙原より、われ等に授けられたるイスマエル[#「イスマエル」に傍線](亞伯拉罕《アブラハム》の子)なるぞ。されどわが饗應《もてなし》には足らぬことあらせじ。天上なる聖母に代りて、われ汝を育つべし。臥床《ふしど》はすでにこしらへ置きぬ。豆も烹《に》えたるべし。ベネデツトオ[#「ベネデツトオ」に傍線
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