ノ會せり。こはわが出納《すゐたふ》の事を托したる銀行の主人《あるじ》なり。會するものはいと多かりしかど、席上一の我が相識れる婦人なく、又一の我が相識らんことを欲する婦人なかりき。
會話は昨夜《よべ》の暴風の事に及べり。ポツジヨ[#「ポツジヨ」に傍線]は舟人の横死と遺族の窮乏とを語りて、些少なる棄損《きえん》のいかに大いなる功徳《くどく》をなすべきかを諷し試みたれども、人々は只だその笑止なることなるかなとて、肩を聳《そびや》かして相視たるのみにて、眞面目にこれに應《こた》ふるものなく、會話は餘所《よそ》の題目に移りぬ。
頃《しばら》くして席は遊藝を競ふところとなり、ポツジヨ[#「ポツジヨ」に傍線]は得意の舟歌《ふなうた》(バルカルオラ)を歌へり。我は友の笑《ゑみ》を帶びたる容貌《おもざし》の背後《うしろ》に、暗に富貴なる人々の卑吝《ひりん》を嘲《あざけ》る色を藏《かく》したるかを疑ひぬ。舟歌畢りしとき、主婦は我に對ひて、君は歌ひ給はずやと問ひぬ。われ、さらば即興の詩一つ試みばやと答へぬ。四邊《あたり》には渠《かれ》は即興詩人なりと耳語《さゝや》く聲す。婦人の群は優しき目もて我を促し、男子等は我を揖《いふ》して請へり。われは「キタルラ」の琴を抱きて人々に題を求めつ。忽ち一少女の臆する色なく目を我面に注ぎてヱネチア[#「ヱネチア」に二重傍線]と呼ぶあり。男子幾人か之に應じてヱネチア[#「ヱネチア」に二重傍線]、ヱネチア[#「ヱネチア」に二重傍線]と反復せり。そはかの少女の頗る美なるが爲めなり。われは絃を理《をさ》めて、先づヱネチア[#「ヱネチア」に二重傍線]往古の豪華を説きたり。人々は歴史と空想とを編み交ぜたる我詞章に耳を傾けつゝ、彼過去の影をもて此現在の形となすにやあらん、その眼光は皆|耀《かゞや》けり。われは心中にララ[#「ララ」に傍線]をおもひサンタ[#「サンタ」に傍線]をおもひつゝ、月明かなる夜、渠水《きよすゐ》に枕《のぞ》める出窓の上に、美人の獨りたゝずめる状《さま》を敍したり。婦人等はこれを聞きて、謳《うた》ふもの直ちに己れを讚むとなすにやあらん、繊手を拍《う》ちて我に酬《むく》いぬ。わが席上の成功はスグリツチ[#「スグリツチ」に傍線](原註、知名の即興詩人)にも讓らざる如くなりき。
ポツジヨ[#「ポツジヨ」に傍線]は我耳に附きて、市長《ボデスタ》の姪あり、此席にありとさゝやきしが、會※[#二の字点、1−2−22]《たま/\》婦人數人と老いたる貴族|某《それ》との坐客を代表して、我に再演を請ひたりしが爲めに、われは友と多く語を交ふること能はざりき。此請は我が預め期したるところなりき。われは好機會を得て、昨夜《よべ》の暴風と難船との事を敍し、前に友の雄辯もて遂ぐること能はざりしところをも、詞章もて遂げんと期《ご》したりしなり。
我はチチアノ[#「チチアノ」に傍線]の贊といふ題を得たり。即興はおもふまゝなる喝采を博して、古名匠の贊はわが自贊となりぬ。されどチチアノ[#「チチアノ」に傍線]は海を畫く人ならざりしが爲めに、われは此題を利用して我志を果すに由なかりき。
主婦は我に近づきていふやう。君の如く自家の技藝もてかくあまたの人を樂ましめ感ぜしめんは、いかに快き事なるべきか。われ。詩人第一の快事は詩の成功なり。主婦。さらば能くその快きを題として歌ひ給はんや。君の辭を措《お》き給ふことの容易《たやす》げなるよりわれ等は、頻《しき》りに請ふことの無禮《なめ》げなるをさへ忘れんとす。われ。こゝに一の奇術あり。そは人々皆詩人となりて、能く詩人の快さを體驗することなり。われは此|術《すべ》を善くすれども、かゝる術の常として、報《むくい》なくては演ずべきにあらず。わが此詞は果して座客をして耳を※[#「奇+攴」、第3水準1−85−9]《そばだ》てしめ、人々は爭ひ進みて、願はくはその奇術を見ることを得んと云へり。我は側なる卓《つくゑ》を指ざして、報《むくい》せんと思ふ方々《かた/″\》は、金錢にもせよ珠玉首飾の類にもせよ、此上に出し給へと云ひぬ。婦人の一人は戲《たはむれ》に、さらば我はこの黄金《こがね》の鎖を置かんと云ひて、言ふところの品を卓上に擲《なげう》てり。一男子は笑ひつゝ、さらば我は骨牌《かるた》の爲めに帶び來れる此金殘らずを置かんと云ひて、その財嚢《ざいなう》を擲《なげう》てり。われ。人々よ、我詞は戲言《ざれごと》にあらず、人々は再び其品を得給ふまじといふに、滿座の客は、さもあらばあれ君が奇術こそ見まほしけれと、金銀、指環、鎖の類を堆《うづたか》く卓上に積みたり。軍服着たる一老人、若しその奇術奇ならざるときは、われは我が「ヅカアチイ」二個(約三圓三十八錢)を取り返すことを得んかといひしに、ポツジヨ[#「ポツジヨ」に傍線]は我に代りて、若し疑はしとおもひ給はゞ、夥伴《なかま》に入り給はでもあるべきにと答へぬ。人々はこれを聞きて打笑ひ、只管《ひたすら》我が演じいだす所のいかなるべきを俟《ま》ち居たり。
われは將《まさ》に口を開かんとするに臨みて、神の我に光明を與へ給ふを覺えたり。先づヱネチア[#「ヱネチア」に二重傍線]の配偶なる、威力ある海を敍し、それより海の兒孫なる航海者に及び、性命を一|葦《ゐ》に托する漁者に及べり。次に前夕《さいつゆふべ》の目撃せしところに就きて颶風を敍し、岸に臨みて翹望《げうばう》せる婦幼に及び、十字架を落す兒童とこれを拾ひて高く※[#「敬/手」、第3水準1−84−92]《さゝ》ぐる漁翁とに及べり。我は殆ど歌ふところのものゝ即ち神の御聲《みこゑ》にして、我身の唯だ此聲を發する器具に過ぎざるを覺えき。時に廣座の間|寂《せき》として人なきが如く、處々に巾《きれ》もて涙を拭ふものあるを見る。われはこれより茅屋《ばうをく》のうちなる寡婦孤兒の憐むべき生活《なりはひ》を敍し、賑恤《しんじゆつ》の必要と其效果とに及べり。われは人間の快さは取るに在らずして與ふるに在り、與ふる快さは即ち神の御心にして、此心あるものは誰か眞の詩人たらざらんと云へり。我聲の威力、その幅員は曲の末解に至りて強さと大さとを加へき。我曲は能く衆人を感動せしめき。我が卓上の物を取りてポツジヨ[#「ポツジヨ」に傍線]に交付し、これに救助の事を托せしときは喝采の聲|屋《いへ》を撼《ゆるが》したり。爾時《そのとき》一の年わかき婦人ありて、我前に來り跪《ひざまづ》き、我手を握り、その涙に潤《うるほ》へる黒き瞳もて我面を見上げ、神の母の報《むくい》は君が上にあれと呼びたり。われは婦人の黒き瞳を見て、曾て夢中に相逢ひたる如き念《おもひ》をなし、深くこれに動されぬ。婦人は此言をなし畢《をは》りて、纔《わづか》におのれの擧動の矩《のり》を踰《こ》えたるを曉《さと》れりとおぼしく、臉《かほ》に火の如き紅《くれなゐ》を上《のぼ》して席をすべり出でぬ。
座客は皆我傍に集ひて、わが博愛の心を稱《たゝ》へ、わが即興の作を讚む。ポツジヨ[#「ポツジヨ」に傍線]は我を擁して、幸ある友よ、人の仰ぎ視ることをだに敢てせざる美人は、膝を君が前に屈せしにあらずやとささやけり。われ。渠《かれ》は何人《なんぴと》なりしか。ポツジヨ[#「ポツジヨ」に傍線]。ヱネチア[#「ヱネチア」に二重傍線]第一の美人なり。市長《ボデスタ》の姪なり。一の老婦人ありて我に歩み近づきて、君は最早我を忘れ給ひしか、そは理《ことわり》なきにあらず、唯だ一たび相見てより後、年あまた經ぬればと云ひつゝ、我に手をさし伸べたり。われ、一たび相見しことある御方とは知れど、何時何處にての事ともおもひ定め難しといふに、老婦人、我|同胞《はらから》は醫師《くすし》にて拿破里《ナポリ》に居たり、君はボルゲエゼ[#「ボルゲエゼ」に傍線]家の公子と共に弟を訪《おとな》ひ給ひぬといふ。われ。まことに宣給ふ如し。こゝにて逢ひまつらんとは思ひ掛けざりしなり。老婦人。拿破里の弟は妻なかりし故、われに家政をとりまかなはせしに、四とせ前にみまかりぬ。今はこゝなる兄の許に住めり。我姪はその性《さが》人と殊なれば、一たび家に歸らんといひ出でゝは、思ひ留まるべくもあらず、又こそ御目にかゝらめとて、老婦人は出で去りぬ。ポツジヨ[#「ポツジヨ」に傍線]は再び我にさゝやくやう。かへすがへすも幸ある友よ。市長の妹の君が相識にて、君と再會を約せしは願ひてもなき事ならずや。ヱネチア[#「ヱネチア」に二重傍線]の少年紳士にして君を羨まぬものはあらじ。人々は遠距離にありてだに心《むね》に傷《て》を負へるを、君は敵の陣地に入ることなれば、注意して自ら護《まも》り給へといふ。市長の姪の去りしには、座客氣付きぬれど、皆その心の優しきこと姿の美しきにかはらずとて、讚め稱へて已まざりき。
善行は心に光明を與ふ。われは久しぶりに心の中の快活を感じて、ポツジヨ[#「ポツジヨ」に傍線]と杯を※[#「石+並」、第3水準1−89−8]《うちあは》せ、此より兄弟の如くならんことを誓ひぬ。家に歸りしは夜半なりき。直ちに眠に就《つ》くべき心地ならねば、窓に坐して清風明月に對せり。渠水《きよすゐ》波なく、古宮空しく聳ゆる處、我が爲めには神話中の夢幻界を現じ來れり。我は兒童の如く合掌して祈祷したり。父よ、我諸惡を免《ゆる》せ。我に氣力を賦《ふ》して善良の人たることを得しめよ、我をして些の羞慚《しうざん》の心なく、彼尼院中なるフラミニア[#「フラミニア」に傍線]を懷ふことを得しめよ。
翌朝は身極めて爽快なりき。我は舟人を喚びて市長《ボデスタ》の家に往くことを命ぜしに、舟人そのオテルロ[#「オテルロ」に傍線]宮(パラツツオオ、ドテルロ)なるを告げたり。オテルロ[#「オテルロ」に傍線]とは彼シエエクスピイア[#「シエエクスピイア」に傍線]の戲曲ヱネチア[#「ヱネチア」に二重傍線]の黒人の主人公にして、市長の家は其舊館なれば、英吉利人は此地に來る毎に必ずこれを尋ぬること、マルクス[#「マルクス」に傍線]寺又は武庫に殊ならずといふ。
市長の一家は歡びて我を迎へ、主人の妹なるロオザ[#「ロオザ」に傍線]夫人は、亡弟の記念《かたみ》と拿破里の繁華とを語りて、我に再遊の願の甚だ切なるを告げ、主人の姪なるマリア[#「マリア」に傍線]は我をして復たララ[#「ララ」に傍線]の姿を見、フラミニア[#「フラミニア」に傍線]の才《ざえ》を見る心地せしめき。マリア[#「マリア」に傍線]とララ[#「ララ」に傍線]との相|肖《に》たるは驚くべき程なり。さるにても身に襤褸《ぼろ》を纏ひて、髮に一束の董花《すみれ》を※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]みし乞丐《かたゐ》の女の、能くヱネチア[#「ヱネチア」に二重傍線]第一の美人と美を※[#「女+貔のつくり」、138−上段−6]《なら》ぶるこそ不思議なれ。是より我は頻りに此家に往來して、ロオザ[#「ロオザ」に傍線]夫人の爲めにダンテ[#「ダンテ」に傍線]の神曲、アルフイエリ[#「アルフイエリ」に傍線]、ハコリイニイ[#「ハコリイニイ」に傍線](並に詩人の名)等の集を朗讀せり。ポツジヨ[#「ポツジヨ」に傍線]もわが紹介によりて市長の常の客となることを得たり。
即興詩人としての我名は漸くヱネチア[#「ヱネチア」に二重傍線]の都に傳はり、美術會院(アカデミア、デル、アルテ)は一日我を招きて技を奏せしめき。われはダンドロ[#「ダンドロ」に傍線]のコンスタンチノポリス[#「コンスタンチノポリス」に二重傍線]征服とマルクス[#「マルクス」に傍線]寺の銅馬《どうめ》とを題として即興の詩を歌ひ、會員證を授與《さづ》けられたり。(ダンドロ[#「ダンドロ」に傍線]はヱネチア[#「ヱネチア」に二重傍線]の大統領《ドオジエ》なりき。千二百三年コンスタンチノポリス[#「コンスタンチノポリス」に二重傍線]を征服す。即ち所謂第四次十字軍なり。)されどその頃我は別に一物の此會員證より貴きものを得つ。そは極めて細かなる貝を絹紐もて貫きたる瓔珞《くびたま》な
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