ニ誓へり。ヱズヰオ[#「ヱズヰオ」に二重傍線]は火を噴き灰を雨《ふ》らすること故《もと》の如し。而して我名を載せたる番付は早く通衢《ちまた》に貼《は》り出されたり。
初舞臺
日暮れて劇場の馬車の我を載せ行きしは、樂劇《オペラ》の幕の既に開《あ》きたる後なりき。若し運命の女神にして、剪刀《はさみ》を手にして此車中に座したらんには、恐らくは我は、いざ、截《き》れと呼ぶことを得しならん。われは只だ神を頼みて餘念なかりき。
場内の逍遙場《フオアイエエ》には俳優と文士と打雜《うちまじ》りたる一群ありき。中には我と同業なる即興詩人さへありて、其名をサンチイニイ[#「サンチイニイ」に傍線]と云ふ。平素人に佛蘭西語を教ふ。われはその群に近づきたり。會話は甚だ輕く、交ふるに笑謔《せうぎやく》を以てす。セヰルラ[#「セヰルラ」に二重傍線]の剃手《とこや》の曲の爲めに登場する俳優は、乍《たちまち》ち去り乍ち來り、演戲のその心を擾《みだ》さゞること尋常《よのつね》の社交舞に異ならず。舞臺はその定住《ぢやうぢゆう》の地なればさもあるべし。
サンチイニイ[#「サンチイニイ」に傍線]の云ふやう。吾等は君に難題を與ふべし。譬へば殼硬き胡桃《くるみ》の拆《さ》き難きが如し。されど君は能く拆き能く解き給ふならん。われも猶初めて登場せし時の戰慄の状《さま》を記せり。されど我智は我に祕訣を授けたり。そは閨情《けいじやう》、懷古、伊太利風土の美、藝術、詩賦等、何物にも附會し易きものあるを用ゐ、又人の喝采を博すべき段をば先づ作りて諳《そら》んじ置くことを得る事なりと云ふ。われ絶て此種の準備なしと答へしに、サンチイニイ[#「サンチイニイ」に傍線]頭を掉《ふ》りて、否、そは隱し給ふなり、要するに君の如き怜悧なる人には此|業《わざ》いと易しと耳語《さゝや》けり。
剃手《とこや》の曲は終りて、われは獨り廣闊なる舞臺の上に立てり。座長《レジツシヨオル》は笑を帶びて我顏を打目守《うちまも》り、斷頭臺は築かれたりと耳語《さゝや》きて、道具方《マシニスト》に相圖せり。幕は開きたり。斯《かく》て此大劇場の觀棚《さじき》に對して立てる時、わが視る所は譬へば黒洞々《こくとう/\》たる大坑に臨める如く、僅に伶人席《オルケストラ》の最前列と高き觀棚《ロオジユ》の左右の端となる人の頭を辨ずることを得るのみ。濃く温なる空氣は漲《みなぎ》り來りて我面を撲《う》てり。われは我精神の此の如く安く夷《たひらか》なるべきをば期せざりき。その状態は固より興奮せり。而《しか》れどもその諸機に※[#「てへん+長」、93−上段−4]觸《たうしよく》[#「※[#「てへん+長」、93−上段−4]觸」は底本では「 觸」]し易き性は十分に備はりたり。われは自家の精神作用の緊張を覺ゆると共に、又其明徹を覺えたり。猶晴れたる冬の日の空氣の極めて冷に兼ねて極めて明なるがごとくなるべし。
看客は片紙に題を記して出し、警吏これを檢して、その法律に抵觸せざるを認めたる後、われに交付す。われは數題中に就いて其一を簡《えら》み取る自由あり。初なる一紙には侍奉《じぶ》紳士と題せり。こは人妻《ひとづま》に事《つか》ふる男を謂ふ。中世士風の一變したるものなるべし。されどわれは未だ深く心をこれに留めしことなし。(原註。「イル、カワリエル、セルヱンテ」又「チチスベオ」、今侍奉紳士と翻《ほん》す。此俗|本《も》とジエノワ[#「ジエノワ」に二重傍線]府|商賈《しやうこ》より出づ。その行販して郷を離るゝもの婦を一友に托す。これを侍奉紳士といふ。初め僧に托するを常とせしが、後又俗士を擇《えら》む。侍奉紳士は婦の早起|盥漱《かんそう》する時より、深更寢に就く時に至るまで、其身邊に在りて奉侍す。他婦を顧みることを容《ゆる》さず、聞く侍奉紳士中|※[#「女+徭のつくり」、第4水準2−5−69]褻《いんせつ》に及ばざるもの往々にして有り。嘗て一男子の歿するや、其|誄辭《るゐじ》中侍奉紳士となりて責を負ひ任を全うすといふ語ありきと。)われは此俗を歌ふ一曲の人口に膾炙《くわいしや》するものあるを知れど、急にこれに依りて思を搆《かま》ふること能はず、(曲とは「フエミナ、ヂ、コスツメ、ヂ、マニエレ」と題するものを謂ふ、「ソネツトオ」なり、ミユルレル[#「ミユルレル」に傍線]の羅馬と其士女との卷中に收めたり。)望を第二紙に屬してこれを開きたり。紙上にはカプリ[#「カプリ」に二重傍線]と書せり。是れ亦わが爲めの難題なり。われは拿破里《ナポリ》よりその山脈の美しきを賞しつれども、未だ一たびも此島に航せしことあらず。若し二者中一を取らば、猶侍奉紳士をこそ辭を措《お》き易しとせめ。われは第三紙を開きたり。題して拿破里の窟墓といふ。これも亦我未知の境なり。されど窟墓の一語は忽ち少時の怖ろしき經歴を想ひ起す媒《なかだち》となりぬ。フエデリゴ[#「フエデリゴ」に傍線]との漫歩《そゞろありき》より地下に路を失ひたる時の心の周章など、悉く目前に浮びぬ。われは直ちに絃を撥《はじ》きて歌ひ出でぬ。章句は自らにして成りぬ。われは唯だ自家少時の經歴を語りしのみ、唯だ羅馬の地下窟を以て拿破里の地下窟となしゝのみ。即興詩の末解は、一たび失ひつる絲の端を再び探り得たる喜を敍したり。喝采はあまたゝび起りぬ。われは脈絡中に三鞭酒《シヤムパニエ》の循《めぐ》るが如き感をなしたり。
われは第二曲の題として蜃氣樓《しんきろう》を得たり。こは拿破里又シチリア[#「シチリア」に二重傍線]の水濱にて屡※[#二の字点、1−2−22]見《あらは》るゝものといへど、われは未だ嘗て見しことあらず。唯だ此重樓複閣の奧には、我に親しき神女|棲《す》み給ふ。これをフアンタジア[#「フアンタジア」に傍線](空想)の君とはいふなり。われは唯だ平生夢裏に遊べる境界《きやうがい》を歌はんのみ。その中には同じ神女の宮殿あり、苑囿《ゑんいう》あり。われは急に我資材を引纏めて、一の布局を定め、一の物語となしたり。歌ひ出づるに從ひて、新しき思想は多く來り加はりぬ。先づ敍したるは荒廢せる一寺院なりき。景をポジリツポ[#「ポジリツポ」に二重傍線]に取りて、わざと其名をば擧げざりき。簷《のき》傾き廊朽ちて、今や漁父の栖家《すみか》となりぬ。聖像を燒き附けたる窓の下に床ありて、一童子臥したり。月あかくいと靜けき夜、美しき童女來りおとづれぬ。その美しさは譬へんに物なく、その身の輕きことそよ吹く風に殊ならず。兩の肩には五彩燦然たる翼|生《お》ひたり。二人は共に嬉《たのし》み遊べり。少女《をとめ》は漁家の子を引きて、緑深き葡萄園に往き、又近きわたりの山に分け入るに、まだ見ぬ景色いと多く、殊に山腹の自ら闢《ひら》けて、その中にめでたき壁畫と數多き贄卓《にへづくゑ》とある寺院の見えたるなど、言へば世の常なり。或るときは共に舟に棹《さをさ》して青海原を渡り、烟立つヱズヰオ[#「ヱズヰオ」に二重傍線]の山に漕ぎ寄せつるに、山は全《また》く水晶より成れりと覺しく、巖の底なる洪爐《こうろ》中に、烟《けぶり》渦卷《うづま》き火燃え上るさま掌《たなぞこ》に指すが如くなり。或るときは共に地下の古市に遊ぶに、康衢《かうく》屋舍悉く存じて、往來織るが如く、その殷富《いんぷ》豐盛なること、書《ふみ》讀む人の遺蹟を見て説き聞かするところに増したり。少女は嘗て其羽を脱ぎ卸《おろ》して、その童子の肩に結び、いざ共に空に翔《かけ》らんといふ。おのれは風なす輕き身なれば、羽なきと羽あると殊ならずとなり。橘柚《オレンジ》檸檬《リモネ》の林を見下し、高くは山巓《さんてん》の雲を踏み、低くは水草茂れる沼澤の上を飛びしときは、終に茫漠たる平野の正中《たゞなか》なる羅馬の都城に至りぬ。鏡の如き蒼海を脚下に見、カプリ[#「カプリ」に二重傍線]の島の外遠く翔《かけ》りて、夕陽の雲の奧深く入りしときは、忽ち粉※[#「土へん+楪のつくり」、第4水準2−4−94]彫墻《ふんてふてうしやう》の前に横はるを見て、これは何ぞと問ひしに、少女答へて、母君の築き給ひし城よと云ひぬ。少女は童子と樂しき日をこの城の内に送りしこと數※[#二の字点、1−2−22]なりき。童子の齡《よはひ》漸く長ずるに及びて、少女の訪ひ來ること漸く稀になり、はてはをり/\葡萄棚の葉の間又は柑子の樹の梢の隙《ひま》より、美しき目もてそとさし覗くのみとなりぬ。童子はこれを見るごとに戀しく懷《なつ》かしきこと限なく、人知らぬ愛に胸を苦めたりき。漁父は童子を伴ひて海に往き、艫《ろ》を搖《うごか》し帆を揚げ、暴風と爭ひ怒濤と鬪ふことを教へつ。年|長《た》けて後、この少年の今は影だに見せぬ昔の友を懷ふ情は愈※[#二の字点、1−2−22]深くのみなりゆきぬ。月清く波靜なる夜半に、獨り舟中にあるときは、ともすれば艫を搖す手のおのづから休み、澄み渡りて底深く生《お》ふる藻のゆらめくさへ見ゆる水にきと目を注《つ》けて、瞬《またゝき》もせず打目守《うちまも》ることあり。かゝる時は昔の少女、その嬌眸を※[#「目+爭」、第3水準1−88−85]《みひら》きて水底《みなそこ》より覗き、或は頷《うなづ》き或は招けり。とある朝漁村の男女あまた岸邊に集ひぬ。そは旭日の波間より出でんとする時、一箇の奇《く》しく珍らしき島國のカプリ[#「カプリ」に二重傍線]に近き處に湧き出でたればなり。飛簷《ひえん》傑閣隙間なく立ち並びて、その翳《くもり》なきこと珠玉の如く、その光あること金銀の如く、紫雲棚引き星月|麗《かゝ》れり。現《げ》にこの一幅の畫圖の美しさは、譬へば長虹を截《た》ちてこれを彩《いろど》りたる如し。蜃氣樓よと漁父等は叫びて、相|指《ゆびさ》して嬉《たのし》み笑へり。彼の漁父の子のみは獨り笑はざりき。知らずや、かの樓閣はわが昔少女と共に遊び暮しゝ處なるを。懷舊の念しきりにして、戀慕の情止むことなく、雙眸《さうぼう》涙に曇る時、島國は忽ち滅《き》えたり。月あかき宵の事なりき。島國は又湧き出でぬ。忽ち一隻の舟ありて、漁父等の立てる岬《みさき》の下より、弦《つる》を離れし征箭《さつや》の如く、波平かなる海原を漕ぎ出で、かの怪しき島國の方に隱れぬ。黒雲空を蔽ひて、海面には暗緑なる大波を起し、潮水倒立して一條の巨柱を成せり。須臾《しゆゆ》にして雲|斂《をさ》まり月清く、海面|復《また》た平かになりぬ。されど小舟は見えざりき。彼漁父の子も亦あらずなりぬ。歌ひ畢《をは》るとき、喝采の聲前に倍し、我膽力は漸く大に、我|興會《きようくわい》は漸く高し。
第三曲の題はタツソオ[#「タツソオ」に傍線]なりき。われは一たびタツソオ[#「タツソオ」に傍線]たりしことあり。レオノオレ[#「レオノオレ」に傍線]は即ちアヌンチヤタ[#「アヌンチヤタ」に傍線]なり。我等はフエルララ宮中に相見たり。われは囹圄《れいご》の苦を嘗め、懷裡に死を藏して又自由の身となり、波立てる海を隔てゝソルレントオ[#「ソルレントオ」に二重傍線]より拿破里《ナポリ》を望み、また聖《サン》オノフリイ[#「オノフリイ」に二重傍線]寺の※[#「木+解」、第3水準1−86−22]樹《かしのき》の下に坐し、戴冠式の鐘聲カピトリウム[#「カピトリウム」に二重傍線]街頭に起るを聞けり。されど冥使早く至りて其冠をわれに授けつ。是れ不死不滅の冠なりき。思想の急流は我を漂し去りて、我|心跳《しんてう》は常に倍せり。
最後の一曲はサツフオオ[#「サツフオオ」に傍線]の死を題とす。嫉妬の苦も亦我が自ら味ひたるところなり。アヌンチヤタ[#「アヌンチヤタ」に傍線]が痍負《てお》ひたるベルナルドオ[#「ベルナルドオ」に傍線]に吝《おし》まざりし接吻は、今|憶《おも》ふも猶胸焦がる。サツフオオ[#「サツフオオ」に傍線]の美はアヌンチヤタ[#「アヌンチヤタ」に傍線]に似て、その戀情の苦は我に似たり。波濤はこの可憐なる佳人を覆ひ了《をは》んぬ。(十六世紀の伊太利詩人タツソオ[#「タツソオ」に傍線]と前七世紀の希臘《ギリシア》女詩人サツフ
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