Xの垂楊の枝は低《た》れて地に曳かんとせり。
 日の夕《ゆふべ》にガリリヤノ[#「ガリリヤノ」に二重傍線]の河を渡りぬ。古のミンツルネエ[#「ミンツルネエ」に二重傍線](羅馬の殖民地)は此岸にありしなり。我好古の眼《まなこ》もて視るときは、是れ猶|古《いにしへ》のリリス[#「リリス」に二重傍線]河にして、其水は蘆荻《ろてき》叢間の黄濁流をなし、敗將マリウス[#「マリウス」に傍線]が殘忍なるズルラ[#「ズルラ」に傍線]に追躡《ついせふ》せられて身を此岸に濳めしも、昨《きのふ》の猶《ごと》くぞおもはるゝ。(紀元前八十八年ズルラ[#「ズルラ」に傍線]政柄《せいへい》を得つる時、マリウス[#「マリウス」に傍線]これと兵馬の權を爭ふ。所謂第一|内訌《ないこう》是なり。マリウス[#「マリウス」に傍線]敗れて此河岸に濳み、萬死を出で一生を得て、難を亞弗利加《アフリカ》に避けしが、その翌年土を捲きて重ねて來るや、羅馬府を陷いれ、兵を縱《はな》ちて殺戮《さつりく》せしむること五日間なりき。)此よりサンタガタ[#「サンタガタ」に二重傍線]までは、まだ若干の路程あるに、闇《やみ》は漸く我等の車を罩《つゝ》まんとす。馭者は畜生《マレデツトオ》を連呼して、鞭策《べんさく》亂下せり。拿破里《ナポリ》の夫人は心もとながりて、頻りに車窓を覗き、賊の來りて、行李を括《くゝ》り付けたる索《さく》を截《き》らんを恐るゝさまなり。われ等は纔《わづか》に前面に火光あるを認めて、互に相慶したり。須臾《しゆゆ》にして車はサンタガタ[#「サンタガタ」に二重傍線]に抵《いた》りぬ。
 晩餐の間、夫人は何事をか思ふさまにて、いともの靜なりき。さるをその目の斷えずわが方に注げるをば、われ心に訝《いぶか》りぬ。翌朝車の出づべき期《ご》に迫りて、われは一盞の珈琲《カツフエ》を喫せんために、食堂に下りしに、堂には夫人只一人在りき。優しく我を迎へて詞を掛け、われを惡しく思ひ給ふな、總べて思ひ設けぬ事なりしなればと云ふ。われは夫人を慰めて、否、あしき人に聞かれたりとは思ひ候はず、言はであるべき事をば言ひ給ふべき方ならねばと答へき。夫人。さなり。おん身はまだ我をよくも識り給はず。或は我を識り給ふ期《ご》あらんも知るべからず。おん身は知らぬ大都會に往き給ふといへば、かしこにて一度我家におとづれ、我夫と相識《さうしき》になり給はんかた宜しからん。交際は無くて協《かな》はぬものにて、又一たび誤りてあらぬ人と相結ぶときは、悔あるべきことなりといふ。われは深くその好意を謝して、善人は隨處にありといふ諺《ことわざ》の虚《むな》しからぬを喜びぬ。夫人は我側に寄りて、兼ねても聞き給ふならん、拿破里は少《わか》き人には危き地なりなど云ひ、猶何事をか告げんとせしに、フエデリゴ[#「フエデリゴ」に傍線]も房《へや》より出でしかば、物語はこゝに絶えぬ。
 我等は又車に乘りたり。今は車中の客も漸く互に打解けて、はかなき世語《よがたり》などしつゝ拿破里の市《まち》に近づきぬ。偶※[#二の字点、1−2−22]|驢《うさぎうま》に騎《の》りたる一群の過ぐるあり。我友はこれを見て、いたくめでたがりたり。紅の上衣を頂より被りて、一人の穉兒《をさなご》には乳房を啣《ふく》ませ、一人の稍※[#二の字点、1−2−22]年たけたる子をば、腰の邊《あたり》なる籠《こ》の中に睡らせたる女あり。又一家族を擧げて一驢の脊に托したりと覺しく、眞中には男騎りて、背後なる妻は臂《ひぢ》と頭とを夫の肩に倚《よ》せて眠り、子は父の膝の間に介《はさ》まれて策《むち》を手まさぐり居たるあり。いづれもピニエルリ[#「ピニエルリ」に傍線]が風俗畫の拔け出でたるかと怪まるゝばかりなり。
 空氣は鼠色にて雨少し降れり。ヱズヰオ[#「ヱズヰオ」に二重傍線]の山もカプリ[#「カプリ」に二重傍線]の島も見えず。葡萄の纏ひ付きたる高き果樹と白楊との間には、麥の露けく緑なるあり。夫人我等を顧みて、見給へ、此野はさながらに饗應のむしろなり、麪包《パン》あり、葡萄酒あり、果《このみ》あり、最早わが樂しき市《まち》と美しき海との見ゆるに程あらじといひぬ。
 夕に拿破里に着きぬ。トレド[#「トレド」に二重傍線]の街の壯觀は我前に横はりぬ。(原註。羅馬及ミラノ[#「ミラノ」に二重傍線]にては大街《おほどほり》をコルソオ[#「コルソオ」に二重傍線]と曰ひ、パレルモ[#「パレルモ」に二重傍線]にてはカツサロ[#「カツサロ」に二重傍線]と曰ひ、拿破里にてはトレド[#「トレド」に二重傍線]と曰ふ。)硝子燈と彩《いろど》りたる燈籠とを點じたる店相並びて、卓《つくゑ》には柑子《かうじ》無花果《いちじゆく》など堆《うづたか》く積み上げたり。道の傍には又魚蝋を焚き列ねて、見渡す限、火の海かとあやまたる。兩邊の高き家には、窓ごとに床張り出したるが、男女の群のその上に立ち現れたるさまは、こゝは今も謝肉祭《カルネワレ》の最中にやとおもはるゝ程なり。馬車あまた火山の坑《あな》より熔け出でし石を敷きたる街を馳《は》せ交《か》ひて、間※[#二の字点、1−2−22]馬のその石面の滑《なめらか》なるがために躓《つまづ》くを見る。小なる雙輪車あり。五六人これに乘りて、背後には襤褸《ぼろ》着たる小兒をさへ載せ、又この重荷の小づけには、網床めくものを結び付けたる中に半ば裸なる賤夫《ラツツアロオネ》のいと心安げにうまいしたるあり。挽《ひ》くものは唯だ一馬なるが、その足は驅歩《かけあし》なり。一軒の角屋敷の前には、焚火して、泅袴《およぎばかま》に扣鈕《ボタン》一つ掛けし中單《チヨキ》着たる男二人、對《むか》ひ居て骨牌《かるた》を弄べり。風琴、「オルガノ」の響喧しく、女子のこれに和して歌ふあり。兵士、希臘《ギリシア》人、土耳格《トルコ》人、あらゆる外國人《とつくにびと》の打ち雜《まじ》りて、且叫び且走る、その熱鬧《ねつたう》雜沓《ざつたふ》の状《さま》、げに南國中の南國は是なるべし。この嬉笑怒罵の天地に比ぶれば、羅馬は猶幽谷のみ、墓田のみ。夫人は手を拍《う》ち鳴して、拿破里々々々と呼べり。
 車はラルゴ、デル、カステルロ[#「ラルゴ、デル、カステルロ」に二重傍線]に曲り入りぬ。(原註。拿破里《ナポリ》大街《おほどほり》の一にして其末は海岸に達す。)同じ※[#「門<眞」、第3水準1−93−54]溢《てんいつ》、同じ喧囂《けんがう》は我等を迎へたり。劇場あり。軒燈籠懸け列ねて、彩色せる繪看板を掲げたり。輕技《かるわざ》の家あり。その群の一家族高き棚の上に立ちて客を招けり。婦《をみな》は叫び、夫は喇叭《らつぱ》吹き、子は背後より長き鞭を揮《ふる》ひて爺孃《やぢやう》を亂打し、その脚下には小き馬の後脚にて立ちて、前に開ける簿册を讀む眞似したるあり。一人あり。水夫の環坐せる中央に立ちて、兩臂《りやうひぢ》を振りて歌へり。是れ即興詩人なり。一翁あり。卷を開いて高く誦すれば、聽衆手を拍ちて賞讚す。是れ「オランドオ、フリオゾ」を讀めるなり。(譯者云。わが太平記よみの類《たぐひ》なるべし。讀む所はアリオストオ[#「アリオストオ」に傍線]の詩なり。)
 夫人は忽ちヱズヰオ[#「ヱズヰオ」に二重傍線]と呼びぬ。げに/\廣こうぢの盡くる處に、彼の世界に名高き火山の半空に聳ゆるを見る。熔けたる巖《いはほ》の山腹を流れ下るさま、血の創より出づる如し。嶺の上に片雲あり。その火光を受けたる半面は殷紅《あんこう》なり。されど此偉觀の我眼に入りしは一瞬間なりき。車は廣こうぢを横ぎりて、旅店「カアザ、テデスカ」の前に駐《と》まりぬ。店の隣には、小き傀儡場《くゞつば》あり。一人ありてその前に立ち、道化役《プルチネルラ》の偶人《にんぎやう》を踊らせ、且泣き且笑ひ、又|可笑《をか》しき演説をなさしめたり。衆人は環《めぐ》り視て笑へり。向ひの家の石級には一僧あり。船頭らしき、肩幅|闊《ひろ》く逞しげなる男に、基督の像を刻み附けたる十字架を捧げさせて説教せり。此方《こなた》には聽衆いと少し。
 僧は目を瞋《いか》らして傀儡師の方を見やりて云ふやう。斯くても精進日《せじみび》なるか。天主に仕ふる日なるか。反省して苦行する日なるか。汝達《なんたち》がためには、春の初より冬の終迄、日として謝肉祭《カルネワレ》ならぬはなし。斯く跳《をど》り狂ひ笑み戲《たはむ》れて、一歩一歩地獄に進み近づくなり。疾《と》く奈落の底に往きて狂ひ戲れよといふ。僧の聲は漸く大に、我耳はこの拿破里|訛《なまり》を聞くこと、一篇の詩を聞く如くなりき。されど僧の叫ぶこと愈※[#二の字点、1−2−22]大なれば、偶人《にんぎやう》の跳ること愈※[#二の字点、1−2−22]忙しく、群衆は舊に依りて傀儡師に面し談義僧に背《そむ》けり。僧は最早え堪へずして、石級を飛び下りさまに連なる男の手より聖像を奪ひ取り、そを高くかざして衆人の間に分け入りたり。見よ/\。これがまことの傀儡なり。汝達に眼あるは、これを視んためなり。耳あるはこれの教を聽かんためなり。「キユリエ、エレイソン」(主よ、慈を垂れよの義にして、歌頌の首句)とぞ唱へける。聖像は流石《さすが》人に敬を起さしめて、四圍《あたり》の群衆忽ち跪《ひざまづ》けば、傀儡師も亦壇を下りて跪きぬ。
 われは車の側に立ちてこれを見つゝ、心に神恩の深きと人心のやさしきとを思へり。フエデリゴ[#「フエデリゴ」に傍線]は夫人のために辻の馬車を雇へり。夫人は友の手を握りて謝すと見えしが、その軟《やはらか》き兩臂は俄に我|頸《うなじ》を卷きて、我唇の上には燃ゆる如き接吻を覺えき。

   慰籍

 友の眠に就きし後、われは猶|※[#「宀かんむり/浸」、第4水準2−8−7]《やゝ》久しく出窓に坐して、外《と》の方《かた》を眺め居たり。こゝよりは啻《たゞ》に廣こうぢの隈々《くま/″\》迄見ゆるのみならず、かのヱズヰオ[#「ヱズヰオ」に二重傍線]の山さへ眞向《まむき》に見えたり。夢の裡《うち》に移り來しにはあらずやと疑はるゝ此境の景色は、われをして容易《たやす》く臥床《ふしど》に上ることを得ざらしめしなり。目の下なる街は漸く靜になりて、燈火《ともしび》の數も亦減ぜり。最早眞夜中過ぎたるなるべし。
 ヱズヰオ[#「ヱズヰオ」に二重傍線]の山の姿は譬《たとへ》ば焔もて畫きたる松柏の大木の如し。直立せる火柱はその幹、火光を反射せる殷紅《あんこう》なる雲の一群《ひとむら》はその木の巓《いたゞき》、谷々を流れ下る熔巖《ラワ》はその闊《ひろ》く張りたる根とやいふべき。わがこれに對する情をば、いかなる詞もて寫し出すべきか、われは神と面《おも》相向へり。神の聲は彼火坑より發して直ちに我耳に響けり。神の威力、智慧、矜恤《きようじゆつ》、愛憐は我胸に徹したり。その迅雷《じんらい》風烈を放ち出す手は、また一隻の雀をだに故なくして地に墮《おと》すことなきなり。わが久しき間の經歴は我前に現じて一瞬時の事蹟に同じく、神の扶掖嚮導《ふえききやうだう》の絲は分明《ぶんみやう》に辨識せられたり。われは敢て自家を以て否運の兒となさじ。神の禍《わざはひ》を轉じて福《さいはひ》となし給へる迹《あと》は掩《おほ》ふ可からざるものあればなり。初めわれ不測の禍のために母上を喪《うしな》ひまゐらせき。されど故《わざ》とならぬ其罪を贖《あがな》はんとてこそ、車上の貴人《あてびと》は我に字を識り書を讀むことを教へしめ給ひしなれ。マリウチア[#「マリウチア」に傍線]とペツポ[#「ペツポ」に傍線]とのわが身を爭ひて、わが全く寄邊《よるべ》なき身の上となりしは、寔《まこと》に限なき不幸なりき。されど斯くてわれカムパニア[#「カムパニア」に二重傍線]の曠野《あらの》に日を送ることなくば、かゝる貴人の爭《いか》でか我を認め得給はん。此の如く因果の鐺《くさり》を手繰《たぐ》りもて行くに、われは神の最大の矜恤、最大の愛憐を消受せしこと疑ふべからず。唯だ凡慮に測り知られぬは我とアヌンチヤタ[#「アヌンチヤタ」に傍線]との上なり。ベルナルドオ[#
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