竅B驢《うさぎうま》に騎《の》りたる農夫二人石垣の下を過ぐ。垣の上に髑髏《どくろ》ありて、一|※[#「鼬」の「由」に代えて「奚」、第4水準2−94−69]鼠《けいそ》、一|蚯蚓《みゝず》、一|木※[#「亡/((虫+虫))、第3水準1−91−58]《きあぶ》これに集り、石面には「エツト、エゴオ、イン、アルカヂア」と云ふ[#「アルカヂア」と云ふ」は底本では「アルカヂアと」云ふ」]四つの拉甸《ラテン》語を書したり。われ。その畫はラフアエロ[#「ラフアエロ」に傍線]の「ヰオリノ」彈《ひ》きの隣に懸けられたるを、われも記憶す。姫。さなり。そのラフアエロ[#「ラフアエロ」に傍線]が落※[#「疑のへん+欠」、第3水準1−86−31]《らくくわん》の見苦しき彼圖の上邊にあるこそ憾《うらみ》なれ。
 既にしてわれ等はフランチエスコ・アルバニイ[#「フランチエスコ・アルバニイ」に傍線]が四季の圖の前に來ぬ。われは昔穉かりし日にこゝに遊び、この圖の中なる羽ある童を見て感ぜし時の事を語りぬ。姫は君が穉くて樂しき日を送り給ひしこそ羨ましけれといひて、憂をかくすやうなるさまなり。昔の身の上にや思ひ比べけんと、あはれに覺ゆ。われ。君とても樂しき日少なからざりしならん。わが初めて相見しときは、君は幸ありげなるをさな子なりき、人々に感覆《めでくつがへ》られたるをさな子なりき。わが再び相逢ふ日は、羅馬全都の君がために狂するを見る。餘所目《よそめ》には君、まことに樂しく見え給へり。さるを心には樂しとおもひ給はずや。かく問ひつゝ、我は頭を傾けて姫の面を俯《ふ》し視たるに、姫はそのそこひ知られぬ目《ま》なざしもて打ち仰ぎ、そのめでくつがへられたるをさな子は、父もなく母もなきあはれなる身となりぬ、譬へば木葉落ち盡したる梢にとまる小鳥の如し、そを籠《こ》の内に養ひしは世の人にいやしまれ疎《うと》まるゝ猶太教徒なり、その翼を張りておそろしき荒海の上に飛び出でたるはかの猶太教徒の惠なりといひかけて、忽ち頭を掉《ふ》り動かし、あな無益《むやく》なる詞にもあるかな、由縁《ゆかり》なき人のをかしと聞き給ふべき筋の事にはあらぬをといふ。由縁なき人とはわれかと、姫の手首とりてさゝやくに、暫しあらぬ方打ち目守《まも》りてありしが、その面には憂の影消え去りて、微笑の波起りぬ。否々、われも樂しかりし日なきにあらず、その樂しかりし日をのみ憶ひてあるべきに、君が昔話を聞きて、端なくもわが心の裡に雕《ゑ》られたる圖を繰りひろげつゝ、身のめぐりなるめでたき畫どもを忘れたりとて、姫は我に先だちて歩を移しき。
 わがアヌンチヤタ[#「アヌンチヤタ」に傍線]と老媼《おうな》とを伴ひて旅館にかへりしとき、門守る男はベルナルドオ[#「ベルナルドオ」に傍線]が留守におとづれしことを告げたり。我友はこの男の口より二婦人を連れ出だしゝものゝ我なるを聞けりといふ。友の怒は想ふに堪へたり。かゝる事あるごとに、我は前《さき》の日には必ず氣遣ひ憂ふる習なりしが、アヌンチヤタ[#「アヌンチヤタ」に傍線]に對する戀は我に彼友に抗する心を生ぜしめき。さきには友我を性格なし、意志なしと罵りき。今はわれ友に見《しめ》すに我性格と我意志とをもてすべしとおもひぬ。
 姫が猶太教徒の籠の内に養はれきといふ詞は、絶えず我耳の根にあり。依りておもふに、友がハノホ[#「ハノホ」に傍線]の許にて見きといふ少女はアヌンチヤタ[#「アヌンチヤタ」に傍線]なりしならん。されど又姫にそを問ふ機會あるべきか、心許《こゝろもと》なし。
 あくる日往きしときは、姫は一間にありて某《それ》の役を浚《さら》ひ居たり。われはおうなに物言ひこゝろみしに、この人はおもひしよりも耳疎かりき。されどそのさま我が詞を交ふるを喜べる如し。われは前《さき》の日即興の詩を歌ひしとき、この人の嬉《たのし》み聽けるさまなりしをおもひ出でゝ、その故をたづねしに、あやしとおもひ給ひしも理《ことわ》りなり、君の面を見、君の詞の端々を聞きて、おほよそに解《げ》したるなり、さてその解したるところはいとめでたかりき、平生アヌンチヤタ[#「アヌンチヤタ」に傍線]が歌うたふを聽くときも亦同じ、耳の遠くなりゆくまゝに、目もて人の聲を聞くすべをば、やう/\養ひ成せりといふ。媼はベルナルドオ[#「ベルナルドオ」に傍線]が上を問ひ、そのきのふ留守の間におとづれて、共に畫廊に往くこと能はざりしを惜みき。われ媼がベルナルドオ[#「ベルナルドオ」に傍線]を喜べるゆゑを問ふに、かの人の心ざまには優れたるふしあり、われその證《あかし》を見しことあればよく知りたり、猶太の徒も基督の徒も、神の目より視ば同じかるべければ、彼人の行末を護り給ふならんといふ。やうやくにして媼はことば多くなりぬ。その姫を愛でいつくしむ情はいと深しと見えたり。物語のはし/″\より推するに、姫が過ぎ來し方のおほかたは明かになりぬ。姫は西班牙《スパニア》に生れき。父も母も彼國の人なり。穉くて羅馬に來つるに、ふた親はやく身まかりて、頼るべき方もなし。猶太の翁ハノホ[#「ハノホ」に傍線]は西班牙に旅せしころ、彼親達を識りつれば、孤兒を引き取りて養へりしに、故郷なる某《それ》の貴婦人あはれがりて迎へ歸り、音樂の師に就きて學ばしめき。その頃某の貴公子この若草手に摘まばやとてさま/″\のてだてを盡しゝに、姫の餘りにつれなかりしかば、公子その恨にえたへで、果はおそろしき計《はかりごと》をさへ運《めぐ》らしつ。その始末をば媼深く祕めかくす樣なれど、姫の命も危《あやふ》かるべき程の事なりきとぞ。姫は彼公子に索《たづ》ね出されじとて、再び羅馬に逃れ來たり。かくて昔のやしなひ親にたよりて、人目少き猶太廓《ゲツトオ》に濳み居たるは、一年半ばかり前の事といへば、ベルナルドオ[#「ベルナルドオ」に傍線]が逢ひしは此時なり。幾《いくばく》もなくして彼公子身まかりぬ。姫はこれより一身をミネルワ[#「ミネルワ」に傍線]の神(藝術の神)に捧げまつりて、その始て桂冠を戴きしはナポリ[#「ナポリ」に二重傍線]にての催しなりき。媼はその頃より姫のほとりを離れずといふ。語り畢りて媼は、姫の才あり智ありて、敬神の心いよ/\深きを稱ふること頻りなりき。
 旅館を出でしは祝射《しゆくしや》の眞盛《まさかり》なりき。玄關よりも窓よりも、小銃拳銃などの空射をなせり。こは精進日の終を告ぐるなり。寺々の壁畫を覆《おほ》へる黒布をば、此聲とゝもに截《き》りて落すなり。鬱陶しき時はけふ去りて、蘇生祭のうれしき月はあすよりぞ來るなる。その嬉しさはアヌンチヤタ[#「アヌンチヤタ」に傍線]と媼とを祭見に誘ひ得たるにて、又一層を加へたり。

   蘇生祭

 祭の鐘は鳴りわたれり。僧官《カルヂナアレ》を載せたる彩車は聖《サン》ピエトロ[#「ピエトロ」に傍線]の寺に向ひて奔《はし》りゆく。車の後なる踏板には、式の服着たる僮僕《しもべ》あまた立てり。外國人の車馬、ところの子女の裙屐《くんげき》に、狹き巷の往來はむづかしき程になりぬ。神使の丘の巓《いたゞき》には、法皇の徽章、聖母《マドンナ》の肖像を染めたる旗閃き動けり。ピエトロ[#「ピエトロ」に傍線]の辻には樂人の群あり。道の傍には露肆《ほしみせ》をしつらひて、もろ手さし伸べたる法皇授福の木板畫、念珠などを賣りたり。噴水の銀線は日にかゞやけり。柱弓《せりもち》の下には榻《たふ》あまた置きたるに、家の人も賓客も居ならびたり。群衆は忽ち寺門より漲《みなぎ》り出でたり。供養の儀式聲樂を見聞き、磔柱《たくちゆう》の鐵釘《てつてい》、長鎗などありがたき寶物を拜み得しなるべし。廣き十字街は人の頭の波打ちて、車は相倚りて隙間なき列をなせり。※[#「にんべん+倉」、第4水準2−1−77]父《さうふ》少童には石像の趺《だいいし》に攀《よ》ぢ上れるあり。全羅馬の生活《なりはひ》の脈は今此辻に搏動するかと思はる。既にして法皇の行列寺門を出づ。藍色の衣を纏へる僧六人に舁《か》かせたる、華美なる手輿《てごし》に乘りたるは法皇なり。若僧二人大なる孔雀《くじやく》の羽もて作りたる長柄の翳《えい》を取りて後に隨ひ、香爐搖り動かす童子は前に列びてぞゆく。輿に引き添ひて歩めるは
僧官《カルヂナアレ》達なり。行列の門を出づるや、樂隊は一齊に聲を揚ぐ。輿を大理石階の上に舁き上げて、法皇の姿廊の上に見ゆるを相圖として、廣き辻なる老若の群集は跪《ひざまづ》けり。隊伍をなせる兵士もこれに倣《なら》へり。こゝかしこに立てる人の殘りしは、新教を奉ずる外國人なるべし。アヌンチヤタ[#「アヌンチヤタ」に傍線]は停めたる車の内に跪きて、その美しき目を法皇の面に注げり。われは見るべからざる法雨のこの群の上に降り灑《そゝ》ぐを覺えき。廊の上より紙二ひら翩《ひるがへ》り落つ。一は罪障消滅の符、一は怨敵調伏の符なり。衆人はその片端を得んとてひしめきあへり。鐘の音再び響き、奏樂又起りぬ。われ等の乘れる車の此辻を離るゝとき、ベルナルドオ[#「ベルナルドオ」に傍線]が馬、側を過ぎたり。馬上の友はアヌンチヤタ[#「アヌンチヤタ」に傍線]と媼とに禮《ゐや》して、我をば顧みざりき。姫は君が友の色の蒼さよ、病めるにあらずやとさゝやきぬ。われはたゞさることはあらざるべしと答へしが、我心は明に友の面色土の如くなりし所以《ゆゑん》を知りたり。而してわれは我決心の期《ご》到れるを覺えき。
 わが姫を慕ふ情は甚だ深し。姫にしてわれを棄てずば、我は一生を此戀に委《ゆだ》ぬとも可なり。われは嘗て我才の戲場に宜《よろし》くして、我|吭《のんど》の喝采を博するに足るを驗《ため》し得たれば、一たび意を決して俳優の群に投ぜば、多少の發展を見んこと難《かた》からざるべし。ベルナルドオ[#「ベルナルドオ」に傍線]畢竟|何爲者《なにするもの》ぞ。その年ごろ姫に近づかんとする心にして、公正なる情ならば、われ決してこれが妨碍《ばうげ》をなさじ。友と我との間に擇《えら》ばんは、一にアヌンチヤタ[#「アヌンチヤタ」に傍線]が寸心に存ず。姫我を取らば友去れかし。友を取らば我|退《ひ》かん。この日われは机に對《むか》ひて書を裁し、これをベルナルドオ[#「ベルナルドオ」に傍線]が許に寄せたり。筆を落すに臨みて舊情を喚び起せば、不覺の涙紙上に迸りぬ。發送せし後は心やゝ安きに似たれど、或は姫を失はんをりの苦痛を想ひ遣りて、プロメテウス[#「プロメテウス」に傍線]の鷲の嘴《くちばし》に刺さるゝ如き念《おもひ》をなし、或は姫に許されて戲場を雙棲のところとなさん日の樂|奈何《いか》なるべきと思ひ浮べて、獨り微笑を催すなど、ほとほど心亂れたる人に殊ならざりき。

   燈籠、わが生涯の一轉機

 夕の勤行《ごんぎやう》の鐘響く頃、姫と媼とを伴ひて御寺《みてら》の燈籠見に往きぬ。聖ピエトロ[#「ピエトロ」に傍線]の伽藍《がらん》には中央なる大穹窿、左右の小穹窿、正面の簷端《のきば》、悉く透き徹《とほ》りたる紙もて製したる燈籠を懸け連ねたるが、その排置いと巧なれば、此莊嚴なる大廈は火※[#「諂のつくり+炎」、第3水準1−87−64]の輪廓もて青空に畫き出されたるものゝ如くなり。人の群れ集《つど》へること、晝の祭の時にも増されるにや、車をば並足《なみあし》にのみ曳かせて、僅に進む事を得たり。神使の橋の上より、御寺の全景を眺むるに、燈の光は黄なるテヱエル[#「テヱエル」に二重傍線]河の波を射て、遊び嬉《たのし》む人の限を載せたる無數の舟を照し、爰《こゝ》に又一段の壯觀をなせり。樂の聲、人の歡び呼ぶ聲の滿ちわたれるピエトロ[#「ピエトロ」に傍線]の廣こうぢに來りし時、火を換ふる相圖《あひづ》傳へられぬ。御寺《みてら》の屋根々々に分ち上したる數百の人は、一齊に鐵盤中なる松脂環飾《やにのわかざり》に火を點ず。小き燈のかず/\忽ち大火※[#「諂のつくり+炎」、第3水準1−87−64]と化したる如く、この時|聖《サン》ピエトロ[#「ピエトロ」に傍線]の寺は羅馬の大都を照すこと、いにしへベトレヘム[#「ベ
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