ノはめでたき歌を賜《たま》はりぬ。その作者は君なること、おん友達より承りて、いかでおん目にかゝらんと願ひ居りしに、窓より君を見付けて、わが詞を聞かで呼び入れ給ひぬ。禮なしとや思ひ給ひけん。されどおん友達の上は、我より君こそよく知りておはすらめ。ベルナルドオ[#「ベルナルドオ」に傍線]は戲もて姫がこの詞に答へ、我は僅にはじめて相見る喜を述べたり。我頬は燃ゆる如くなりき。姫のさし伸べたる手を握りて、我は熱き唇に當てたり。姫は室にありし男を我に引き合せつ。すなはちこの群の樂長なりき。又媼は姫のやしなひ親なりといふ。その友と我とを見る目《ま》なざしは廉《かど》ある如く覺えらるれど、姫が待遇《もてなし》のよきに、我等が興は損《そこな》はるゝに至らざりき。
 樂長は我詩を讚めて、われと握手し、かゝる技倆ある人のいかなれば樂劇《オペラ》を作らざる、早くおもひ立ちて、その初の一曲をば、おのれに節附せさせよと勸めたり。姫その詞を遮《さへぎ》りて。彼が言を聞き給ふな。君にいかなる憂き目をか見せんとする。樂人は作者の苦心をおもはず、聽衆はまた樂人よりも冷淡なるものなり。こよひの出物《でもの》なる樂劇の本讀《ラ、プルオバ、ヅン、オペラ、セリア》といふ曲はかゝる作者の迷惑を書きたるものなるが、まことは猶一層の苦界《くがい》なるべし。樂長の答へんとするに口を開かせず、姫は我前に立ちて語を繼ぎたり。君こゝろみに一曲を作りて、全幅の精神をめでたき詞に注ぎ、局面の體裁人物の性質、いづれも心を籠めてその趣を盡し、扨《さて》これを樂人の手に授け給へ。樂人はこゝにかゝる聲を※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]まんとす。君が字句はそのために削らるべし。かしこには笛と鼓とを交へむとす。君はこれにつれて舞はしめられん。さておもなる女優は來りて、引込の前に歌ふべき單吟《アリア》の華かなるを一つ作り添へ給はでは、この曲を歌はじといふべし。全篇の布置は善きか惡きか。そは俳優の責にあらず。「テノオレ」うたひの男も、これに讓らぬ我儘をいはむ。君は男女の役者々々を訪ひて項《うなじ》を曲げ色を令《よ》くし、そのおもひ付く限の注文を聞きてこれに應ぜざるべからず。次に來るは座がしらなり。その批評、その指※[#「てへん+適」、第4水準2−13−57]、その刪除《さんじよ》に逢ふときは、その人いかに愚ならんも、枉《ま》げてこれに從はでは協《かな》はず。道具かたはそれの道具を調へんは、我座の力の及ぶところにあらずといふ。かゝる場合に原作を改むることを、芝居にては曲を曲《ま》ぐといふ。畫工は某《それ》の畑、某の井、其の積み上げたる芻秣《まぐさ》をばえ寫さじといふ。これがためにさへ曲ぐべき詞も出來たるべし。最後におもなる女優又來りて、それの詞の韻脚は囀《さへづ》りにくし、あの韻をば是非とも阿《あ》のこゑにして賜はれといふ。これがためにいかなる重みある詞を削《けづ》り給はんも、又いづくより阿のこゑの韻脚を取り給はんも、そは唯だ君が責に歸せん。かくあまたゝび改めて、ほと/\元の姿を失ひたる曲を革《かは》に掛けたるとき、看客のうけあしきを見て、樂長はかならず怒りて云はむ。拙劣なる詩のために、いたづらなる骨折せしことよ。わが譜の翼を借したれども、癡重《ちちよう》なるかの曲はつひに地に墜ちたりと云はむ。
 外よりは樂の聲おもしろげに聞えたり。假面着けたる人はこゝの街にもかしこの辻にもみち/\たり。たちまち拍手の音と共に聞ゆる喝采の響いとかしましきに、一座の人々みな窓よりさし覗きぬ。いまわれ意中の人の傍にありて見れば、さきに厭はしと見つるとは樣かはりて、けふの祭のにぎはひ又面白く、我はふたゝびきのふ衆人に立ち廁《まじ》りて遊びたはぶれし折に劣らぬ興を覺えき。
 道化役者にいでたちたるもの五十人あまり。われ等のさし覗ける窓の下につどひ來て、おのれ等が中より一人の王を選擧せんとす。これに中《あた》りたるものは、彩《いろど》りたる旗、桂の枝の環飾《わかざり》、檸檬《リモネ》の實の皮などを懸けたる小車に乘り遷《うつ》りぬ。その旗のをかしく風に翻《ひるがへ》るさま、衣の紐などの如く見えき。王の着座するや、其頭には金色に塗りて更にまた彩りたる鷄卵を並べて作れる笠を冠として戴かせ、其手には「マケロニ(麪《めん》類の名)つけたる大いなる玩具《もてあそび》の柄つきの鈴を笏《こつ》として持たせたり。さて人々その車のめぐりを踊りめぐれば、王はいづかたへも向ひて頷《うなづ》きたり。やゝありて人々は自ら車の綱取りて挽《ひ》き出せり。この時王は窓にアヌンチヤタ[#「アヌンチヤタ」に傍線]あるを見つけ、親しげに目禮し、車の動きはじむると共に聲を揚げ。きのふは汝、けふは我。羅馬の牧のまことの若駒を轅《ながえ》に繋ぐ快さよ、とぞ叫びける。姫は面をさと赤めて一足退きしが、忽ち心を取直したる如く、又手を欄《おばしま》にかけて、聲高く。我にも汝にも過分なる事ぞ。かりそめにな思ひそといふ。群集も亦きのふの歌女を見つけたりけるが、今その王との問答を聞きて、喝采の聲しばしは鳴りも止まず、雨の如き花束は樓の上なる窓に向ひて飛びぬ。その花束の一つ、姫が肩に觸れて我前に落ちたれば、我はそを拾ひて胸におしつけ、何物にも換へがたき寶ぞと藏《をさ》めおきぬ。
 ベルナルドオ[#「ベルナルドオ」に傍線]は祭の王のよしなき戲を無禮《なめ》しといきどほり、そのまゝ樓を走り降りて筈《むちう》ち懲らさばやといひしを、樂長は餘《よ》のひと/″\と共になだめ止むるほどに、「テノオレ」うたひの頭なる男おとづれ來ぬ。その男は歌女に初對面なりといふ「アバテ」一人と外國うまれの樂人一人とを伴へり。續いて外國の藝人あまた打連れ來りて對面を請ひぬ。これにて一間に集ひし客の數俄に殖えたれば、物語さへいと調子づきて、さきの夕「アルジエンチナ」座にて興行したる可笑《をかし》き假粧舞《フエスチノ》の事、詩女《ムウザ》の導者たるアポルロン[#「アポルロン」に傍線]、古代の力士、圓鐵板《ヂスコス》投ぐる男の像等に肖《に》せたる假面の事など、次を逐《お》ひて談柄となりぬ。獨りかの猶太種と覺しき老女のみはこの賑しき物語に與《あづか》らで、をり/\姫がことさらに物言掛けたる時、僅に輕く頷くのみなりき。この時姫の態度に心をつくるに、きのふ芝居にて思ひしとは、甚しき相違あり。その家にありてのさまは、世を面白く渡りて、物に拘《こだは》ることなき尋常の少女なり。されどわが姫を悦ぶ心はこれがために毫《すこ》しも減ぜず。この穉《をさな》き振舞は却《かへ》りてあやしく我心に協《かな》ひき。姫は譯もなき戲言《ざれごと》をも、面白くいひ出でゝ、我をも人をも興ぜさせ居たりしが、俄にこゝろ付きたるやうに※[#「金+表」、51−中段−7]《とけい》を見て、はや化粧すべき時こそ來ぬれ、今宵は樂劇の本讀《ラ、プルオバ、ヅン、オペラ、セリア》のうちなる役に中《あた》り居ればとて座を起ち、側なる小房のうちに入りぬ。
 門を出でたるとき。われ。汝が惠によりてゆくりなき幸に逢ひしことよ。舞臺なるを見し面白さに讓らぬ面白さなりき。さはれ汝はいかにして彼君とかく迄親くはなりし。又いかにして我をさへ紹介しつる。我は猶さきよりの事を夢かと疑はんとす。友。わが少女の許を訪れしは、別にめづらしき機會を得しにあらず。羅馬貴族の一人、法皇|禁軍《このゑ》の一將校、すべての美しきものを敬する人のひとりとして、姫をば見舞つるなり。若し又戀といふものゝ上より云はゞ、この理由の半ばをだに須《もち》ゐざるならん。されば我が姫を訪ひて、汝も前《さき》に見つる如き紹介なき客に劣らぬ、善き待遇を得しこと、復た怪むに足らざるべし。且《また》戀はいつも我交際の技倆を進む。彼と相對するときは、倦怠せしめざる程の事我掌中に在り。相見てよりまだ半時間を經ざるに、我等は頗《すこぶ》る相識ることを得き。さてかくは汝をさへ引合せつるなり。我。さては汝彼君を愛すといふか。眞心もて愛すといふか。友。然り、今は昔にもまして愛するやうになりぬ。さきに猶太廓にて我に酒を勸めし少女の、今のアヌンチヤタ[#「アヌンチヤタ」に傍線]なることは、最早疑ふべからず。わが始て居向ひしとき、姫は分明《ぶんみやう》に我を認むるさまなりき。かの老いたる猶太婦人の詞すくなく、韈《くつした》編めるも、わがためには一人の證人なり。されどアヌンチヤタ[#「アヌンチヤタ」に傍線]は生れながらの猶太婦人にあらず。初め我がしかおもひしは、其髮の黒く、其瞳の暗きと其境界とのために惑はされしのみ。今思へば姫は矢張《やはり》基督教の民なり。終には樂土に生るべき人なり。
 この夕ベルナルドオ[#「ベルナルドオ」に傍線]と芝居にて逢ふことを約しき。されど餘りの大入なれば、我はつひに吾友を見出すこと能はざりき。我は辛く一席を購《あがな》ふことを得き。いづれの棧敷《さじき》にも客滿ちて、暑さは人を壓するやうなり。演劇はまだ始まらぬに、我身は熱せり。きのふけふの事、わがためには渾《すべ》て夢の如くなりき。かゝる折に逢ひて、我心を鎭めんとするに、最も不恰好なるは、蓋《けだ》し今宵の一曲なりしならん。世に知れわたりたる如く、樂劇の本讀といふは、極めて放肆《はうし》なる空想の産物なり。全篇を貫ける脈絡あるにあらず。詩人も樂人も、只管《ひたすら》觀客をして絶倒せしめ、兼ねて許多《あまた》の俳優に喝采を博する機會を與へんことを勉めたるなり。主人公は我儘にして動き易き性なる男女二人にして、これを主なる歌女及譜を作る樂人とす。絶間なき可笑しさは、盡る期なき滑稽の葛藤を惹起せり。主人公の外なる人物には人のおのれを取扱ふこと一種の毒藥の如くならんことを望める俳優をのみ多く作り設けたり。かくいふをいかなる意ぞといふに、そは能く人を殺し又能く人を活す者ぞとなり。此群に雜《まじ》れる憐むべき詩人は、始終人に制せられ役せられて、譬へば猶犧牲となるべき價なき小羊のごとくなり。
 喝采の聲と花束の閃《ひらめき》は場《ぢやう》に上りたるアヌンチヤタ[#「アヌンチヤタ」に傍線]を迎へき。その我儘にて興ある振舞、何事にも頓着せずして面白げなる擧動を見て、人々は高等なる技《わざ》といへど、我はそを天賦の性《さが》とおもひぬ。いかにといふに、姫が家にありてのさまはこれと殊なるを見ざればなり。その歌は數千の銀《しろかね》の鈴|齊《ひとし》く鳴りて、柔なる調子の變化|極《きはまり》なきが如く、これを聞くもの皆頭を擧げて、姫が目より漲《みなぎ》り出づる喜をおのが胸に吸ひたり。姫と作譜者と對して歌ふとき相代りて姫男の聲になり、男姫の聲になる條《くだり》あり。この常に異なる技は、聽衆の大喝采を受けたるが、就中《なかんづく》姫が最低の「アルトオ」の聲を發し畢《をは》りて、最高の「ソプラノ」の聲に移りしときは、人皆物に狂へる如くなりき。姫が輕く艷なる舞は、エトルリア[#「エトルリア」に二重傍線]の瓶《へい》の面なる舞者《まひこ》に似て、その一擧一動一として畫工彫工の好粉本ならぬはなかりき。われはこのすべての技藝を見て姫の天性の發露せるに外ならじとおもひき。アヌンチヤタ[#「アヌンチヤタ」に傍線]がヂド[#「ヂド」に傍線]は妙藝なり、その歌女は美質なり。曲中には間《まゝ》何の縁故もなき曲より取りたる、可笑しき節々を※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]《はさ》みたるが、姫が滑稽なる歌ひざまは、その自然ならぬをも自然ならしめき。姫はこれを以て自ら遣り又人に戲るゝ如くなりき。大團圓近づきたるとき、作譜者、これにて好し、場びらきの樂を始めんとて、舞臺の前なるまことの樂人の群に譜を頒《わか》てば、姫もこれに手傳ひたり。樂長のいざとて杖を擧ぐると共に、耳を裂くやうなる怪しき雜音起りぬ。作譜者と姫と、旨《うま》し/\と叫びて掌を拍《う》てば、觀客も亦これに和したり。笑聲は殆ど樂聲を覆へり。我は半ば病めるが如き苦悶を覺えき。姫の姿は
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